欧米列強に借金をしないことが属国化を防いだ
幕末当時、日本の置かれた状況は「欧米化」との戦いでした。今でも基本的にそれは変わらないのですが、当時は独立国としての日本の生存がかかった、文字どおり「生死を賭けた戦い」でした。
日本の生死を「攘夷」に求める人たちもいました。「攘」とは追い払うこと「夷」は夷狄、つまり外国人を意味します。外国との通商に反対して、外国を撃退しようという思想です。
「尊王攘夷」が合言葉で、威勢はよく、大衆の感情に訴える効果はありました。ただし、少し冷静に考えればわかることですが、攘夷を進めていくと戦争になります。
しかし、欧米列強と戦争するわけにはいきませんでした。当時の日本は、国力が弱かった。戦争をすれば、国が滅ぼされてしまうことは目に見えていました。
でも、幕末の日本は滅ぼされませんでした。先人たちは、攘夷ができない以上、どうやってアメリカやヨーロッパの植民地にならずに生き残っていくかを、一所懸命に考えたのです。
勝海舟という人を知っているでしょう。1868年に西郷隆盛と会談して、江戸城を無血開城したことで有名ですね。明治新政府軍と旧幕府軍の間で、江戸市街戦争にならずに済みました。
勝海舟は江戸幕府の幕臣でした。私が勝海舟に感心するのは、次のことです。
それは「外国からカネを借りてはいけない」と常に主張していたということ。『氷川清話』という勝海舟の回顧録がありますが、これには何度も「外国に借金するな」という話が出てきます。
当時、幕府側にはフランスが、新政府側の薩摩・長州にはイギリスが援助しようとしていました。カネを借りるのは簡単でした。しかし、どの勢力にもそれはしなかった。
もし彼らに借金をしていたら、日本国内での旧幕府対新政府の戦争、たとえば戊辰戦争(1868~69年)は、フランスとイギリスの代理戦争になっていた可能性があります。
しかも、この当時の借金を、未だに日本は返し続けていなければならなくなっていたかもしれません。これは「日本が属国化する」ということです。
実は、幕末から140年も経って勝海舟の慧眼を裏づけたのが、フランスのジャック・アタリという国際金融資本家の広告塔です。アタリは『国家債務危機』の中で「国家は債務によって興り、債務によって滅ぶ」と喝破しましたが、これこそ勝海舟が直感的に見抜いたことなのです。
また、勝海舟と西郷隆盛との会談も、日本人独特の阿吽の呼吸で無血開城の合意に至りました。幕末から明治維新の日本には、実は、こういったところにたいへん見るべきものがあります。
アメリカに対する開国から始まって、明治維新へと続く当時の日本に起きたことは、きわめて大きな変化でした。しかし、それは、アメリカやヨーロッパの歴史で言う「革命」などではなかった、ということなのです。