1894年の日清戦争については「朝鮮の支配権をめぐる日清両国の戦争」と歴史の教科書では習いますが、“なぜ朝鮮の支配権を争ったのか”というところを見なければいけません。在外歴約40年の元外交官・馬渕睦夫氏が、明治の日本がどうやって生き抜いたかを紹介します。
※本記事は、馬渕睦夫著『国際ニュースの読み方 コロナ危機後の「未来」がわかる!』(マガジンハウス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
明治維新は「革命」ではなく「復古」
「革命」を辞書で調べてみると「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」と書いてあります。
世界史ではフランス革命やロシア革命が有名ですが、日本が明治維新で行ったのは「革命」ではなく「復古」でした。
国の根幹を揺るがすような事件が起こったとき、古来、日本人はいつも「復古」を目指すのを常としてきました。「過去の歴史に戻って、どう対応するかを考える」ということです。
先人たちが考えたのは、日本古来の「国体」に沿った生き方と欧米化を両立させることでした。
国体という言葉は、現在では、あまり使われない言葉かもしれませんね。ここでの国体とは、もちろん「国民体育大会」のことではなく「くにぶり」、いわゆる「お国柄」のことです。
話を戻すと、欧米化を受け入れつつ、日本の伝統文化を守りながら、アメリカやヨーロッパの植民地にならずに生き延びていく方法を、当時の日本人は模索したわけです。
正確に言えば、いまも10パーセントの成功をしているとは言えないのですが......。それでも「アメリカやヨーロッパの植民地にはならない」という目的は達成しています。