“文字通り”に命懸けなKGB機密文書の閲覧
第二に、ミトロヒン文書がKGBの公文書の写しであるということ自体が非常に貴重です。さらに言うと、ミトロヒンがKGBの公文書を大量に読んだということが、稀有中の稀有。奇跡としか言いようがないくらい稀なことなのです。
なぜでしょうか。
そもそもKGBの文書は、よほどの理由がなければ閲覧が許されないからです。閲覧が許されないのは、文書の内容が拉致・暗殺・窃盗・密輸・偽情報拡散・テロ・大量殺戮など、違法行為の山だからです。
ソ連が崩壊するまで、外部の人間はもとより、KGB職員であっても、KGBが保管している文書を自由に閲覧できませんでした。閲覧するためには、なぜその文書を閲覧したいのかという理由を添えて申請し、特別に許可を得る必要がありました。
たとえば、元KGB将校のアレクサンドル・ヴァシリエフは、KGBのアメリカ課に勤務していた間、職場では対米工作の歴史を知ることが好ましいと思われていなかった。そういう中で、一体誰があえて機密文書の閲覧を申請するだろうか、と回顧しています。
KGBという組織は、上司に少しでも睨まれたり、疑われたりすれば、自分は処刑され、家族は全員強制収容所にぶち込まれてもおかしくない、恐ろしい組織です。
もし閲覧を申請したことで「こいつは一体何のために、この文書の情報を知りたいのか。上層部の弱みを握りたいとでも思っているのか」などと、上司に疑念を抱かれたら、下手をすれば家族全員が道連れ、つまり刑務所送りか死刑なわけです。ですから、ヴァシリエフが語っているのは、機密文書の閲覧申請だなんて、そんな恐ろしいことを誰もするわけがない、ということなのです。
ところがミトロヒンは、KGBの対外工作を担当する部門である第一総局の所蔵文書すべてに、アクセスすることができました。おそらく、ミトロヒンほど大量のKGB機密文書を長時間かけて読み込んだ人間は、他にいません。
ソ連崩壊後、エリツィン政権が一時期、旧ソ連の機密文書を部分的に公開していましたが、近い将来に再び情報公開が進むことは考えにくい状況です。ロシアで大変動が起きない限り、オリジナルのKGB機密文書を閲覧することはできそうにありません。ミトロヒン文書の重要性が下がることは当分ないと言えるでしょう。