争点となったは英国が付けた「適用除外条項」
ここで「逃亡犯条例」とは何か、ということを説明しましょう。
この条例は、英国統治時代の1992年に制定されました。いわゆる犯罪人引渡協定のことで、香港で捕まえられた容疑者が外国で罪を犯していた場合、その外国と協定が結ばれていれば、必要な手続きを経て引き渡すことができるというものです。
あるいは、外国での犯罪容疑者が香港に逃げ込んだ場合、犯罪を犯した国とこの条例に基づく協定を結んでいれば、その国の要請に従って容疑者を逮捕し、やはり必要な手続きを経て引き渡すことができます。犯罪容疑者が香港から外国に逃げた場合も、同様に引渡しができる相互条約です。
この条例に基づく犯罪人引渡協定は、司法制度・刑罰の制度・人権が十分に守られる政府とのみ犯罪人引渡しのできる関係を結ぶ、ということが前提条件になっていました。ですから「香港以外の中国その他の地方には、この条例を適用しない」という適用除外条項が付いていました。
英国が香港を中国に引き渡す5年前の1992年に、この法律を制定させたのは、英国が中国を信用しておらず、容疑者引渡制度を悪用させないために、この適用除外条項を付け加えたのだとみられています。
この条項は、香港が中国本土と異なる司法の独立を有することを、裏付けるものでもありました。この条項があることが、香港の法治が一国二制度によって守られている証でした。ですから、この条項を削除することは、香港の司法の独立性が決定的に崩れ、香港の法治が失われることと同等だと民主派人士たちは考えて抵抗したのです。
実際のところは、香港返還以降、香港警察は中国公安警察と互いに連絡を取ったうえで「国外追放」という形にして、容疑者の引渡しを行っていました。香港から深圳に逃げてきた容疑者は、中国公安警察が捕まえて、深圳から香港に“追放”し、香港警察がそこで逮捕。そして香港警察も中国の求めに応じて、容疑者を深圳に追放するというやり方で、身柄引渡しを行うケースはありました。
中国公安警察による拉致は珍しくない
2015年10月に、中国に批判的な書籍を出版・販売していた香港の銅鑼湾書店関係者5人が、失踪するという事件がありました。
2017年の春節直前には、中国で幅広く金融・保険関連投資を行っている大富豪・蕭建華(しょうけんか)が、香港の高級ホテル・フォーシーズンズホテルから失踪するという事件がありました。
実はこれは中国公安による“拉致”でした。銅鑼湾書店関係者も蕭建華も中国公安に拘束されていたのです。つまり、そんな条例改正が行われなくても、中国公安警察は香港域内で勝手に捕まえたい人間を秘密裏に逮捕している状況がありました。
香港の司法の独立など、とっくに崩れていた現状でしたが、“建前”まで崩してしまえば、もはや中国の無法・横暴・人権無視を批判する根拠すらなくなってしまいます。だから「この条例によって、中国共産党が国内でやっているような政治犯・思想犯逮捕を、香港でも行えるようになるかもしれない」と民主派の立法会議員たちは抵抗したのでした。
また、香港は米国や英国など約20カ国との犯罪人引渡協定に調印していましたが、そうした国々に何の説明もなく、条例提供範囲を中国にまで広げてしまうことは、国際社会にとっても大問題だという話になりました。
西側諸国に言わせれば、この条例に基づいて香港と犯罪人引渡協定に調印しているのは、同じ民主主義の司法制度の政府同士だという前提があるからです。香港とは犯罪人引渡しを認めても、中国とは認めていない国も多いのです。
香港と中国の間に逃亡犯条例が成立すれば、香港を経由して自動的に中国に容疑者を引き渡してしまうことになるではないか、という不信が生まれます。西側の自由社会にしてみれば、中国のような、法治国家でないところに容疑者を引き渡すわけにはいきません。
ちなみに中国と犯罪人引渡協定を結んでいる国も約40カ国がありますが、多くが中東・中央アジア・東南アジア・アフリカなどで、民主主義の法治の先進国家は、ほとんど含まれていません。こうした協定に基づき中国に引き渡されている“犯罪容疑者”には、ウイグル人留学生や民主活動家らも含まれていたりします。