まさに“市街戦”だった三度目の現場取材
2019年10月1日、中国建国70周年目の国慶節の日。私は香港反送中デモが始まってから三度目の現場取材を行いました。このときの現場の激しさは、もはや「市街戦」と形容していいと思います。
同日夕刻、私は湾仔のど真ん中にいました。そこで勇武派デモ隊と警察防暴隊の火炎瓶と催涙弾の応酬の狭間で右往左往していました。
ほんの1メートルほど離れたところでガチャンと音がして、デモ隊が投げた火炎瓶がぼっと炎上します。それが、ちょうどガソリンスタンド前だったので慌てて駆け出すと、後方から警察が発射した催涙弾が降ってきました。
顔はフルフェイスの3M防ガスマスクをしているのですが、首筋など肌の露出している部分は催涙弾のガスが染み込みヒリヒリと痛みました。
9月下旬ごろから香港デモは週末どころかほとんど毎日、どこかで起きていました。また、始まりが平和デモであっても、最終的には“市街戦”になるのが常態化していました。ですが、この日は特に激しかったのです。
「中国の建国70周年の国慶節を、盛大な破壊行為でお祝いしてやる」と若者たちは息巻いており、一方で香港政府は「この日のデモを封じ込めるためなら、いかなる手段を使ってもよい、実弾使用も許可する」と香港警察に伝えていた、と言われています。
私が湾仔で火炎瓶と催涙弾から逃げまどいながら、細い路地に逃げ込み、一息ついたとき、SNSのテレグラムに18歳の男子高校生が、警察の銃弾を胸に受けて重体となったというメッセージが流れてきました。
実弾使用許可が出ているという噂は聞いていましたが、まさか本当に警察が未成年者の胸に向かって銃弾を撃ち込むなんてことがあるとは、そのときは思いもよりませんでした。
香港の法治は完全に死んだと気づかされた瞬間でした。これは、まるで白色テロです。
地下鉄駅は破壊され、公道のタイルは剥がされ、火炎瓶の炎があちこちでくすぶっていました。スターバックスや元気寿司といった親中派香港企業、美心食品が展開しているフランチャイズ企業も打ち壊しにあっていました。
立ち込める催涙ガスは、マスクがなければ息もできないほどの刺激臭です。このときは気づいていませんでしたが、この催涙ガスは中国製で、ダイオキシンなどの猛毒を発生するものでした。
これを日常的に吸いながら取材していた記者のなかには、クロロアクネという皮膚障害の症状を訴える人もあとから出てきたのでした。
メディアや医療ボランティアも“犯罪者”扱い
警察の暴力はデモ隊だけでなく、デモに同情的なメディアやボランティア医療隊、店舗や一般市民にまで、ますます容赦のないものになっていました。
例えば、私の友人のセルフメディアの若者二人は、10月1日の朝に突然逮捕されました。逮捕されたうちの一人、アレックスは、その日、私の取材に同行してくれる約束だったのが、いつまでたっても待ち合わせの場所に現れませんでした。あとになって逮捕されたと知らされたのです。
彼らが逮捕された理由とは、取材中に首にぶら下げている自作のプレスカードを「私文書偽造」であるとする、信じがたいものでした。翌日には一応釈放されたのですが、これは香港デモ取材者全体への恫喝といっていいでしょう。
警察はデモ取材中のメディアに、ゴム弾や催涙弾をあえて撃ってくるぐらい、メディアを憎んでいます。実際に9月30日には、インドネシア記者が顔にゴム弾を受けて眼球破裂の重傷を負いました。
また、医療ボランティアへの暴行もひどいものがあります。医療ボランティアとは、非番の医師や看護師、救急隊員や救急医療の心得がある人たちが、自前の医療器具や医薬品を持って、デモでの負傷者に対して救護活動を行う善意の人たちです。
彼らはSNSでネットワークをつくり、助けを求められれば、怪我人がデモ隊であっても警官であってもマフィアであっても救護する、という赤十字精神を遵守しています。
ですが、警官はそういう医療ボランティアをあえて痛めつけるのです。知り合いの医療ボランティアの青年は、負傷者救護中に警官から背中や頭を殴る蹴るなどされた、と言います。
また、デモ隊の負傷者を治療したボランティア医療隊員を「地下医師」として摘発、逮捕したケースも相次ぎました。警察はデモ隊を暴徒や犯罪者として扱い、それを助けるボランティア医師もデモ隊の言い分も公平に報じるメディアも「犯罪の共犯者」というわけです。
ですが、ボランティア医師は、目の前の怪我人が警官であろうが親中派であろうが助けますし、私たちメディアも、警察や親中派が取材に応じてくれるなら、その言い分を報じます。戦場では医療関係者とメディア、民間人を狙わないのは世界のルールです。
香港に対する強硬な方針を明らかにした中国
また香港警察は、デモの若者たちを制圧して捕らえたあとも執拗に暴力をふるいます。確かに火炎瓶を投げ、警官を襲う若者を警察が武器を持って制圧するのは当然の治安維持行為かもしれません。ですが、制圧して無力化した抵抗者や、武器を捨て両手を上げて投降の意を示した者を執拗に痛めつけるのは、暴行でしかないでしょう。
私は、湾仔の“市街戦”の現場で、スピードドラゴンと呼ばれる重装備の警官が、抵抗者を地面に押さえつけて制圧したあと、身動きできない若者の肘を外側にねじ曲げるのを目撃しました。おそらく腕の骨を折ったのだと思います。本物の武器を持ち合って戦う戦争でも、捕虜に対しての暴行は戦争犯罪です。
つまり、香港デモは戦場よりも無秩序で、香港警察は本来あるべき統制もとれておらず、法の執行者としての正義も失っている“暴力装置”にすぎなくなっていたのです。デモ隊の五大訴求に「香港警察に対する独立調査委員会の設置と調査が必要だ」とあるのは当然の主張だと思いました。
10月1日、香港行政長官の林鄭月娥は北京に行き、建国70周年の式典に参加していました。おそらく、北京と今後の香港デモへの対応についての指示も受けたと思われます。香港に戻ってきた林鄭は10月5日、ついに1967年の香港左派暴動以来の緊急法(緊急状況規則条例)を発動し、それに基づいて覆面禁止令が発令されました。
緊急法は、秩序を取り戻すためならば、いかなる命令も行政長官と行政会議の判断で発令できるという、一種の戒厳令です。
さらに林鄭は8日、香港自身で問題を対処するとしながらも「状況が悪化すれば、中央政府への支援要請を排除しない」とコメント。
香港基本法18条では、香港が警察力だけで対処できないと判断した場合、解放軍出動を要請できることになっています。これは、人々に1989年の天安門事件のような状況が起こりうることを覚悟させました。
建国70周年のイベントを終えた中国は、もはや香港に対して、いかなる残酷な手段をも取りうるという意思を、林鄭の決定を通じて示したのでした。
※本記事は、福島香織:著『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。