2019年6月の103万人デモから100日目となる9月15日に、福島香織氏は再び香港デモの現場にいました。フルフェイスの防ガスマスクをして取材をした、戦闘状態となった香港デモの現場で見たこととは?

香港市民がデモ隊や海外メディアを支援

そのとき、香港デモはすでに“戦闘”になっていました。催涙ガスが飛び交い、その煙幕の隙間を縫って黒い服の青年たちが、政府庁舎に向かって火炎瓶を投げつけていました。やがて高圧放水車が投入され、ペッパー水と青い着色水を交互にデモ隊に発射し、デモ隊も、それを間近で撮影している記者たちも吹っ飛んでしまいました。

逃げ足に自信のない私は、少し離れた陸橋からこの光景を唖然として眺めていました。このとき私は、3Mのフルフェイスの防ガスマスクをしていましたが、髪の毛を挟んでしまっていたので、隙間から催涙ガスが滲んできて、顔面がヒリヒリしていました。

▲フルフェイスの防ガスマスクを装備する福島香織氏

ひと通りの“戦闘”が終わって下に降りると、ペッパー水を浴びた青年たちをボランティア救護班が物陰で手当していました。「水! 水!」と叫んでいたので、とっさに持っていたミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、救護班員はその水を青年の背中にぶっかけました。痛みでゆがんだその顔は、びっくりするほど幼くて、こんな子どもたちが、先ほどまで警察と渡り合っていたのかと、ショックをおぼえました。

それでも若い抵抗者たちは、私に向かって「10月1日(中国の建国70周年記念日)は、もっと盛大に祝ってやる!」と口々に言っていました。彼らの怒りの矛先は、すでに中国であり、もはや条例改正案撤回の問題ではなくなっていました。

9月13日に香港入りして、私が「週末のデモ現場に行く」と言うと、香港セルフメディアの記者で友人のウインタスは「前線は戦場取材と同じです」と言って、フルフェイスの防ガスマスクを用意してくれ、さらに逮捕されたときに保釈請求をしてくれる弁護士まで紹介されました。

「メディアも逮捕されるの?」と聞くと「メディアはむしろターゲットになります」。こういう会話を旺角のレストランでしていると、店長が「サービスです」と言ってサーモンの刺身の小皿を置いていきました。「このデモの取材は危険だと市民はみんな知っているので、デモ取材のプレスに対しては、みんな敬意を示してくれるんです」とウインタス。

この取材では、本当に香港の普通の人たちが、あちこちでデモ隊や、それを取材する外国メディアを支援していることを体感しました。例えば、市民がボランティアドライバーとして、無償で送り迎えをしてくれたり、企業家や商店主さんが高価なガスマスクやフィルターを無償、あるいはワンコインで提供してくれたりしていました。

若手社会運動家の逮捕によっておきた変化

こうした変化の理由は、8月30日の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や周庭(アグネス・チョウ)といった、雨傘運動から続く香港若者社会運動のアイコン的存在であった2人を含む、社会運動家や立法議員ら8人が突然逮捕されたこと(いずれも、その後釈放)、その翌日の8月31日デモで、地下鉄太子駅構内の警察によるデモ排除行動中に、デモ隊側に3人の死者が出たという噂のせいなのかもしれません。

▲周庭(アグネス・チョウ) 出典:ウィキメディア・コモンズ

8月31日というのは特別な日でした。2014年の雨傘運動が起きたきっかけとなった、行政長官選挙改革に対する中国全国人民代表大会常務委員会の決定があったのが同年8月31日で、この屈辱の日を思い起こすための大規模デモが予定されていました。

この直前の27日に、林鄭月娥行政長官は「あらゆる香港の法律を使って、混乱を収める責任がある」と発言し、初めて緊急状況規則条例(緊急法)の発動をほのめかせました。

▲黄之鋒(ジョシュア・ウォン) 出典:ウィキメディア・コモンズ

そして30日に、雨傘運動のリーダーであった黄之鋒や雨傘運動の女神と呼ばれた周庭、陳浩天(香港民族党創始者アンディ・チャン)、立法会議員の鄭松泰や區諾軒に譚文豪、区議の許鋭宇ら、社会活動家や議員らを一斉に公務妨害容疑で逮捕しました。彼らはすぐに保釈されましたが、平和デモ主催者であった民間人権陣線は、デモの開催取り消しを発表せざるをえませんでした。

ですが、結果として8月31日のデモは、これまで以上になく激しいものとなってしまいました。警察は太子駅を封鎖してデモを暴力鎮圧し、また初めて暴動鎮圧用の高圧放水車を投入。実弾発射警告を行いました。この太子駅におけるデモ鎮圧で死者が3人出た、という未確認情報が流れました。死者はないという警察発表を、多くの市民は信じませんでした。