香港警察が中国公安化したという噂も・・・
この一連の出来事は、香港人に法治が完全に失われた象徴的事件として絶望を与えました。黄之鋒や周庭、立法会議員らは平和デモ派を支持する穏健派で、彼らとも話し合いができないというのは「香港政府には、実は話し合いの意志がない」ということを意味するからです。
私が香港入りした9月13日は、中秋節(中秋の名月)。その日の夕方、私は前月31日に“死者”が出た現場という太子駅に行ってみました。旺角警察署が近い太子駅の入り口は、白い花で飾られ、月餅が供えられ、まるで葬儀の祭壇のようでした。その前で市民らが、次々と線香をあげたり、中秋節用のランタンの火をつけたりしていました。
8月31日、太子駅でスピードドラゴンと呼ばれる警察が投入され、デモ隊を制圧しました。このとき、デモ隊側に重傷者が10人出ていると当初発表されたのですが、最終的に7人に修正されました。
重傷者の数が急に3人減らされたのは、死亡したのを隠蔽したのではないか、という噂が広がりました。そういう疑心を持ったデモ隊や市民は、地下鉄駅に設置されている監視カメラの映像をすべて公開せよと主張しました。ですが地下鉄側は、この要請に応じませんでした。そのため、疑いはさらに高じて、デモ隊側は地下鉄施設の破壊や政府庁舎への攻撃などの「戦闘」モードに転じていったのでした。
「香港警察がそこまでするか?」と友人たちに聞きまわったのですが「彼らはもう香港警察ではなく中国公安だ」と言います。これはまんざら誇張ではなく、フランス・フィガロ紙によれば、中国政府は8月7日までに、秘密裡に3万人の増援を香港警察に送っているといいます。これが本当なら、香港警察実動隊はもともと3万人程度なので、ほとんどまるごと香港警察が中国公安に入れ替えられたぐらいの話です。
別の消息筋によれば、中共中央政法委員会書記の郭声琨の指示で、北京・上海・広東の公安警察3000人前後が、偽装記者や偽装親中派デモ隊、煽動家などの役割で、7月以降に香港入りしているという噂も流れていました。また一部の逮捕者は、香港の刑務所ではなく広東省の監獄に送られている、と中国内部に情報筋を持つ香港雑誌『前哨』(9月号)は報じていました。
こうしたことから、林鄭月娥が9月4日に、条例改正案完全撤回を宣言し、話し合いを提案しましたが、デモ参加者たちのほとんどが「いまさら撤回しても遅すぎるし、譲歩も少なすぎる」と納得しませんでした。
あるデモ参加者は「あまりにもたくさんの血が流れすぎたし、逮捕者が増えすぎた。この程度の譲歩で納得していたら、犠牲者がうかばれない」と言い、五大訴求が全部聞き届けられるまで、戦い続けると息巻いていました。
勇武派の抵抗が林鄭月娥を追い詰めていった
林鄭月娥は、実業家らとの内部会合で「もし私に選択肢があるなら、(私がすべき)最初のことは辞任であり、深く謝罪すること」「残念ながら憲法で2つの主人、つまり香港市民と中国政府に仕えなければならない行政長官として、政治的な余地は非常に非常に限られている」と妥協したくても妥協できない苦しみを吐露しており、その音声が9月2日のロイター通信でスクープとして公開されています。
おそらく林鄭月娥の音声リークが、北戴河会議では「妥協は一切しない」と強く言っていた中国の妥協を引き出したのでしょう。
私が伝聞した限りでは、習近平政権は8月の段階では林鄭月娥に対し、あくまで香港政府の法令執行によって、香港デモを「平定」するように命じていたそうです。具体的には、緊急状況規則条例(緊急法)という、立法会を通さずに行政長官と行政会議のみで立法できる事実上の戒厳令を発動して、外出禁止令や交通、通信の遮断などの措置を行って、違反者の一斉逮捕という暴力的な方法を林鄭月娥の責任でやらせようということだったようです。
ですが林鄭月娥は、それを自分の責任で行うのを嫌がった。だから、ロイター通信を通じてリークを行った。今後、香港に対して行う一切の措置が、自分の意志ではないことを香港市民に弁解する意味と、北京に対して、これ以上のことはもうできないという、ささやかな抵抗の意志であった、ということらしいです。
林鄭月娥をここまで追い詰めたのが、勇武派の抵抗だったということもあり、その後の抵抗は、さらに過激化していったのです。
林鄭月娥は条例改正案撤回とともに、警監会〔警察監視のための第三機関〕に外国人専門家を加えることや、社会各層からのリーダー・専門家・学者を加えた諮問機関を設けて、政府にアドバイスしてもらうことや、あらたな対話プラットフォームをつくることなどを挙げましたが、8月30日の黄之鋒らの逮捕事件などをみた後では、そんな提案も信じられるわけがありません。
デモ参加者らは「中国の建国記念日の10月1日までを穏便に過ごすための方便で、10月1日を過ぎたら手の平を返すと思う」と言っていました。
私が共産党内部に精通している消息筋から聞いたところでは、習近平政権にとってのボトムラインは「中国のメンツを守る」「死者を出さない」「軍を派遣しない」の3つであり、その範囲内でデモを平定せよ、というのが、当時、香港政府に課された任務だったようです。
だからといって、解放軍が出動することは絶対にないとはいいきれません。「天安門事件の再来のようになるかもしれないではないか」と知り合いの勇武派デモ参加者に聞くと、彼らは「恐れるくらいなら、やらない。望むところだ」「遺書はもう書いた」と勇ましく答えます。「どうせ、このままでも香港の自由は死ぬ。ならば、せめて中国が、どんなひどい国であるかを国際社会に見せつけるために死ぬ」と言う人もいました。