大手ファンドの買収は阻止したが…経営からは退く

次の「土壇場」は、アメリカのタリーズが経営危機に陥ったことをきっかけに訪れた。アメリカのタリーズが経営難によって競合する他社に買収されれば、松田さんが経営する日本のタリーズが「タリーズ」を名乗れなくなる可能性があった。

タリーズコーヒージャパンは2001年にナスダック・ジャパン(当時)に上場していたが、これを回避する下準備として2004年に上場を廃止。タリーズのブランドを守るために、アメリカのタリーズを自ら買収しようとした。交渉は順調だという感触はあった、のだがーー。

「アメリカのタリーズは、最後の最後になって『やっぱやーめた』となったんです。なぜかというと、ひとことで言えば創業者のエゴ。『日本の傘下には入りたくない』と。結果的に別々の道をいくことになったんです」

結局、松田さんはタリーズの日本での商標権を買い取ることには成功したが、LBOも含め百億円近い借金を抱えることになった。

すると数年後、ここに目をつけた大手のファンドが、乗り出した。今度はタリーズコーヒージャパンが、買収されそうになったのだ。松田さんは創業者でありながら、同社の株を20%程度しかもっていなかった。「今になって考えたら、それはすごく甘いことだった」と松田さんは振り返る。

「創業当時の私は27~8歳で、理想論があったんです。会社っていうのは、社長がなにもかも牛耳るのはよくないと。だから私は、創業社長かもしれないけど、持ち株比率は20%でいいよと。みんなで会社をでかくしていきましょう、という思いがあったんです」

▲創業者でありながら株の保有率は20%、それが裏目に出た

この考え方の隙をつくかたちで、タリーズコーヒージャパンは大株主の社外役員達と組んだファンドに「敵対的買収」を仕掛けられたのだった。ドラマ『半沢直樹』で描かれたIT企業の買収案件さながらの光景だ。

「(大手ファンドは)証券会社の端末をタリーズの全店舗320店に置きたい、と。タリーズにデイトレーダーが集まってきて端末でやりとりするなんて、私はリラックスする環境を提供したいのに、それはタリーズではありませんと話しました」

松田さんは社内の役員たちを説得し、ファンドの持ち株比率が51%を超えてしまう前に、大手の飲料メーカーに株を売却することにした。「ファンドに買われてぐちゃぐちゃにされるよりも、長期的なビジョンでタリーズを育ててくれるだろうと考えた」。この苦渋の決断によって、タリーズが買収されるという「土壇場」を乗り越えることができた。