「スタンドプレーをするな」政治は恨み妬みの世界

松田さんはその後、政治の世界に入る。

「タリーズを譲渡したあとシンガポールで日本食レストランのプロジェクトをやったんですけども、リーマンショックでとん挫したんですね。それから(現在も日本で経営している)『Eggs 'n Things(エッグスンシングス)』の事業を開始しているときに、政治家の方々がいらっしゃって『出馬してほしい』と説得されて政治の世界に入っていくんです」

「日本がヤバいという危機感があった」という松田さんは、日本を元気にするためにはいくつかの政策が必要だと考えていた。その考えで一致したのが「みんなの党」だった。

「なんでみんなの党で出馬したかというと、『自民党でもない民主党でもない』というキャッチコピーだったんです。政策重視でやっていく、と」。その姿勢は松田さんにとって、魅力的にみえた。2010年、松田さんは参議院議員選挙で当選を果たした。

しかし数年後、みんなの党は分裂する方向へと動き出す。

「自民党とくっつこうとか民主党とくっつこうとか、そういう話ばっかりになったんです」と松田さん。「みんなの党に期待して票を入れてもらったのだから『私はいきません。無所属になります』と。自民党に行きたい人は行ったらいい、民主党に行きたい人は行ったらいい」。そう決めた松田さんだが、ここで問題になるのが「政党交付金」だ。

みんなの党には、年間20億円近い交付金が支払われていた。党がなくなるとして、このお金をどうするかという話になった。松田さんは国に返すべきだと考えたが、他の議員のなかには「山分け」したいという者もいた。党に所属する議員は数十人。かなりの額になるはずだった。

しかし松田さんは「正義感」から同じ党の若手議員から委任状を預かり、上層部と掛け合った。

「大変だったのはそのときです。なぜかというと、分党したらお金がもらえるってみんな思っているわけですから。すごくにらまれましたし『何かっこつけてるんだ』『スタンドプレーするな』と言われました」

当然、恨みを買うことになった。「政治は恨み妬みの世界です。あれだけの恨みを背負ったっていうのは人生で初めてです」と、振り返る。

「ただ国会議員として政治家のあるべき姿だけはブレずに持ち続けていました。『自分が出世したい』とか『金を手にしたい』とか一切ないんです。なのに、これだけ恨まれるのか……と」。しかしその甲斐があって、結局、党は政党交付金を返納することになった。

「根っからのベンチャーで。自分がどんな環境にいようと、どんな状況であろうと、他が全部潰れようが、自分の考えは曲げないという気持ちですよね」

▲「政治は恨み妬みの世界だった」と振り返る松田さん