明治期に遊郭として復活した

明治になってから、全国の宿場は衰退したが、品川は遊廓として復活した。

『全国遊廓案内』(日本遊覧社/昭和5年)は、品川遊廓について――

現在では貸座敷が四十三軒あり、娼妓は四百名いる。福島、三重県等の女が多い。

としている。

貸座敷は、女郎屋・妓楼のこと。娼妓は遊女のこと。品川では飯盛女が娼妓となった。

図6は、明治の品川遊廓の光景である。

▲図6『東京開化狂画名所』(月岡芳年/明治14年) 足立区立郷土資料館:蔵

客の男が部屋を間違え、寝床を囲んでいる屏風を押し倒してしまった。周囲は暗かったのであろう。

男のいでたちを見ると、明治とわかる。だが、娼妓の姿も、部屋の様子も、江戸時代と変わらなかった。

『江戸の男の歓楽街』は次回10/14(水)更新予定です、お楽しみに!

○今に残る品川の痕跡

北品川本通り商店街
かつて、この通りに女郎屋が軒を連ねていたという。現在も個人商店が多く、風情を残す(編集部撮影)
北品川駅
京急線。品川駅から1駅で歩いていける距離である(編集部撮影)