大企業は全体の7割くらいが「価値なしモデル」

前野 時代が大きく変わったからですね。

由佐 個人の主体性が問われるようになると、価値なしモデルはつらい。このタイプの人は、多様性のマネジメントが苦手だからです。自分がやってきたのと同じように、他人に対しても「価値があるか」「価値がないか」で判別してしまう。当然のように「価値を出すこと」を強く求める。

前野 4つの類型の比率はどうなっているんでしょう。

由佐 世代や組織で大きく違いますね。たとえば大企業は全体の7割くらいが価値なしモデルで占められているというのが、わたしの実感です。イノベーター的な立ち位置にひとりぼっちモデルの人が数人いて、主戦力は価値なし、バックオフィスを支えているのが、愛なしと欠陥欠損という感じでしょうか。

前野 他の組織はどうですか。

由佐 福祉関連や病院のような組織になると、愛なしモデルと欠陥欠損モデルが圧倒的に多くなります。愛なしは他人に奉仕・貢献する人たちなので、医療とか教育とか人の癒しとか育成など、人に愛をかける仕事に向いていると思います。

前野 自己犠牲をいとわないからですね。その反面、ときに共依存に陥ることもありそう。

由佐 そうなることもありますね。自分はどんなに疲れ果てていても「人のためにがんばろう」となってしまうのが、愛なしモデルの衝動なので。

痛みの裏側には“美しいもの”が隠れている

由佐 わたしがメンタルモデルを本当におもしろいと感じ始めたのは「4つの類型の裏側はライフミッションだ」と思えるようになってからなんです。最初は、人間の悩みとなる、このなんともならない現実をつくり出す根っこにある「痛み」に注目していました。そこから「なぜこの4つのモデルが人にとって痛みなのか」を考えたんです。

なぜ人間は、無意識に精巧なOSをつくり出し、人生のすべてをつかってまで、この痛みを避けようとするのか。それは「この4つの欠乏感の奥には本当の世界があるはずだ、それをつくり出したい」という願いがあるからではないか、と思うようになったんです。

愛なしモデルは、無条件の愛を分かち合いたい。欠陥欠損モデルは、すべての多様性がそのまま受け入れられる安心・安全な世界をつくりたい。ひとりぼっちモデルは、大いなる生命につながって人間が生きるというワンネスを取り戻したい。価値なしモデルは、行動成果ではなく存在そのものに価値があるというところから生きていたい。

これは、わたしたち人間が「この地球にどんな世界を本当は見たいのか」をあらわすメッセージのようなものだ、と思うんです。痛みの裏側に、こんなに美しいものがあるなんて、すごく秀逸でしょう?

▲痛みの裏側には“美しいもの”が隠れている イメージ:PIXTA

前野 4つのモデルの人たちがそれぞれ関門を経て、無意識のシステムを統合し、お互いに力を合わせれば、本当に世界は良くなる。

由佐 この社会で生きていると、どうでもいいことに費やされることも多い。痛みを感じること、つらいこともたくさんある。でも、この世界において本当にやりたいことは、その痛みの裏側にある。そう見定められたら、痛みへの向き合い方も、これからの生き方も変わるんじゃないでしょうか。

「ああ、だから、わたしはこれまで痛みを抱えて生きてきたんだ」と理解できれば、過去の記憶も癒やされますし、人生の捉え方が変わる。自分の代では終わらないスケールの大きなミッションを担っている感覚を持てれば、老いにも向き合えますよね。