江戸時代の男たちが遊んだ場所は吉原だけじゃなかった! 当時の歓楽街があった場所や様子を、作家で江戸風俗研究家でもある永井義男氏が紹介する。出合茶屋は、現代におけるラブホテル。江戸時代には、この出合茶屋が上野の不忍池に集中していたのだ。
江戸のラブホテル「出合茶屋」
男女の密会の場としては、出合茶屋が知られている。現代のラブホテルに相当するであろう。
江戸では、出合茶屋が多数ある場所として、上野の不忍池の周辺が有名だった。
図1は不忍池で、池の中の中島には弁財天が祀られていた。中島を取り巻くように建ち並ぶ建物は、ほとんどが出合茶屋である。
図2は、出合茶屋で忍び会う男女。男がこう、うそぶいている。
「こう、互いに存分に忍びすまして、不忍池もいいじゃあねえか」
窓の外に蓮が見えるのが、いかにも不忍池を示していよう。
そのほか、出合茶屋は各地の神社仏閣の門前町などで、ひっそりと営業していた。
人出の多い、にぎやかな場所で、目立たないように営業するのが商売のこつだった。そうすれば、人目を忍ぶ男と女が人ごみにまぎれ、すっと入れるからだった。
いっぽう、船宿は屋根舟や猪牙舟を所有し、おもに人間を輸送する運送業である。花火見物や夕涼み、雪見などに遊覧の舟を出すこともあった。
図3の手前が屋根舟、左奥が猪牙舟である。
水路が縦横に張り巡らされ、水運が発達していた江戸では、あちこちに船宿があった。
船宿の二階には座敷があり、客は芸者などを呼んで酒宴を開くこともできた。また、船宿の二階座敷は男女の密会の場としても利用された。
図4は、船宿の二階座敷。窓の外に、川が見える。
さらに、屋根舟を密会の場として利用することもあった。
船宿の方でも、男女が屋根舟を雇うとなれば、その目的は承知していた。
図5で、枕が二つ、用意されているのがわかろう。船頭はすべて心得て、屋根舟を隅田川に漕ぎ出していく。
男と女は隅田川に浮かんだ屋根舟で、景色をながめながら、酒と料理を楽しむ。そのあと、枕をおろして、性も楽しんだことになろう。
そのほか、鰻屋や小料理屋などが、二階座敷を男女の密会に提供することもあった。