江戸時代の男たちが遊んだ場所は吉原だけじゃなかった! 当時の歓楽街があった場所や様子を、作家で江戸風俗研究家でもある永井義男氏が紹介する。出合茶屋は、現代におけるラブホテル。江戸時代には、この出合茶屋が上野の不忍池に集中していたのだ。

江戸のラブホテル「出合茶屋」

男女の密会の場としては、出合茶屋が知られている。現代のラブホテルに相当するであろう。

江戸では、出合茶屋が多数ある場所として、上野の不忍池の周辺が有名だった。

▲図1『江戸不忍弁天ヨリ東叡山ヲ見ル図』(渓斎英泉) 国会図書館:蔵

図1は不忍池で、池の中の中島には弁財天が祀られていた。中島を取り巻くように建ち並ぶ建物は、ほとんどが出合茶屋である。

▲図2『帆柱丸』(喜多川歌麿/享和元年) 国際日本文化研究センター:蔵

図2は、出合茶屋で忍び会う男女。男がこう、うそぶいている。

「こう、互いに存分に忍びすまして、不忍池もいいじゃあねえか」

窓の外に蓮が見えるのが、いかにも不忍池を示していよう。

そのほか、出合茶屋は各地の神社仏閣の門前町などで、ひっそりと営業していた。

人出の多い、にぎやかな場所で、目立たないように営業するのが商売のこつだった。そうすれば、人目を忍ぶ男と女が人ごみにまぎれ、すっと入れるからだった。

いっぽう、船宿は屋根舟や猪牙舟を所有し、おもに人間を輸送する運送業である。花火見物や夕涼み、雪見などに遊覧の舟を出すこともあった。

▲図3『神田与吉一代記』(安永7年) 国会図書館:蔵

図3の手前が屋根舟、左奥が猪牙舟である。

水路が縦横に張り巡らされ、水運が発達していた江戸では、あちこちに船宿があった。

船宿の二階には座敷があり、客は芸者などを呼んで酒宴を開くこともできた。また、船宿の二階座敷は男女の密会の場としても利用された。

▲図4『春色梅暦』(為永春水:著/天保10年) 国会図書館:蔵

図4は、船宿の二階座敷。窓の外に、川が見える。

さらに、屋根舟を密会の場として利用することもあった。

船宿の方でも、男女が屋根舟を雇うとなれば、その目的は承知していた。

▲図5『同房語艶以登家奈幾』(為永春水:著/天保11年) 国会図書館:蔵

図5で、枕が二つ、用意されているのがわかろう。船頭はすべて心得て、屋根舟を隅田川に漕ぎ出していく。

男と女は隅田川に浮かんだ屋根舟で、景色をながめながら、酒と料理を楽しむ。そのあと、枕をおろして、性も楽しんだことになろう。

そのほか、鰻屋や小料理屋などが、二階座敷を男女の密会に提供することもあった。