国防をあざ笑う馬鹿たち

平和運動家と言われている人たちに多いのですが、冗談のつもりかわかりませんが「アメリカ人は戦争が好きだから……」という皮肉めいた言い方をする人がいます。これが、国防をあざ笑っている、という状態です。「平和ボケ」とも言います。

すべては無知と曲解のなせるワザでしょう。戦争放棄ということになっている憲法第9条は、言ってしまえば、あまりに強過ぎた旧日本軍を潰すための作戦でした。軍備ならびに武装組織については考え方が修正され、警察予備隊や保安隊を経て、1954年に「自衛隊」が創設されますが、国の規模に比較すると、その人員は世界主要国のなかでも最低水準です。

つまり、これは一般人の周囲に国防に携わる人がいることが日本では稀である、ということを意味しています。また、GHQが行った占領政策によって、戦争というものを忌避する思想が植え付けられた影響ではあるものの、現代日本には軍事に関する教育や報道に偏見があります。

アメリカ人にとって軍隊は、家族や友人の集合体です。戦争になれば、家族や友人が戦地へ赴き、苦しい体験をし、時には命を落とします。

妻の父は第二次世界大戦に、私の父と伯父は朝鮮戦争に徴兵されました。父が最前線で命を落としていたら、私は今この世にはいません。私自身に軍隊経験はありませんが、18歳の時には徴兵登録を行っています。私は1971年に宣教師として初来日しました。徴兵の抽選結果と戦況によっては、来日せずに兵士としてベトナム戦争に参加していたことでしょう。

ベトナムのジャングルで戦う自分の姿は想像できませんでした。しかし、選ばれたら精いっぱい戦うしかないと考えていたことは事実です。それがアメリカ人としての義務であるということに、なんの疑問もありませんでした。

戦争は家族や友人の心身を確実に傷つけるのです。したがって、アメリカ人に限らず誰それは戦争が好きだから、などとは口にしないほうが賢明でしょう。たとえば第二次世界大戦前には、アメリカの世論は戦争を強く拒否していました。戦争を望んだのは、時の大統領フランクリン・ルーズベルトです。

ルーズベルトは世論を動かすために、日本を執拗に挑発して真珠湾攻撃に追い込んだということは、後に公開された公文書の記録によって明らかになっています。アメリカ人も日本人もルーズベルトにだまされたのであり、今もだまされたままの人たちは双方の国に多いのです。

▲フランクリン・ルーズベルト 出典:ウィキメディア・コモンズ

軍人を尊敬するアメリカと軍人を敬遠する日本

軍人は祖国や国民を守るためなら、自分の命を危険にさらす覚悟を持っています。だからアメリカ人は、誰もが軍人を尊敬し感謝しています。街なかでも、現役退役を問わず軍人割引を行っている商店やレストランがたくさんあります。

そして、日本の自衛隊員もまた「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という一節を含む宣誓を行って、服務している人たちです。

自衛隊員は事実上の軍人です。最近はテレビなどで自衛隊という組織の真摯な姿を見る機会も増えていますが、それでも、なかなか身近な存在に感じられないのか、いわゆる平和運動家たちばかりでなく、一般の人たちも自衛隊員への尊敬や感謝の心は薄いように思います。安保条約によって日本に駐留している在米軍人へのそれは、なおさら薄いでしょう。

自衛隊と在日米軍がなければ、日本に対して侵略意思を持つ国々は、ただちに武力行使を開始するでしょう。私たち日本に暮らす人間たちの今日そして明日の生活は、この自衛隊と在日米軍の軍事的抑止力によって守られているのです。この現実を、特に平和運動家と呼ばれる人たちは認めません。

国防をあざ笑う平和ボケの馬鹿たちの言動は、日本を危機にさらします。そして忘れてはならないのは、日本の危機は他国が利益を得るチャンスに他ならないということです。平和ボケの馬鹿たちのなかには、それを承知で他国に協力して自らの利益を得るために運動をしている人たちもいるのです。