そんなアニーが母親になった!

その後、月日が経って、アニーは子供を産みました。彼女は母親になったのです。名前は“あさこ”と名付けられました。アニーに似て、とっても美人な女の子。通常、群れで暮らすチンパンジーは、母親や仲間の出産を見て、子育てを手伝うことにより、育児を学びます。

しかし、人間に育てられ、群れにうまく入れなかった彼女は、自分で産んだ赤ちゃんを、自分の子どもと認識できず、抱っこもせず、赤ちゃんを床に置いたままにしてしまいました。育児放棄です。

▲自分が産んだ赤ちゃんを自分の子どもと認識できないことも イメージ:PIXTA

赤ちゃんは、冷たい床の上で手足をバタバタさせギャーギャーと泣きます。アニーはその声でパニック状態になってしまい、赤ちゃんを手で叩く行動をとり始めました。このままでは、命の危険があるため、アニーから赤ちゃんを取り上げ、人工哺育、つまり人間の手によって育てることになりました。

アニーにはアレルギーがあり、掻きすぎにより全身かさぶたができたり、ちょくちょく下痢もしました。ちょっとでも寒いとすぐ風邪をひいてしまい、インフルエンザにもよくかかりました。

病気になると治療が必要になります。牛乳に混ぜての投薬や、お菓子に混ぜてそのまま口の中に入れるなど、さまざまな方法で薬を飲んでもらいます。僕はこの経験を通して、投薬の工夫について学びました。

また薬ではなく、餌の工夫や安心して寝ることのできる場所の確保など、ストレスをなくすことにより治る病気もあるということ。獣医師は病気の治療だけが仕事ではなく、病気にさせない環境を作るということも大事な任務のひとつ、ということを教わりました。

あさこと離ればなれになってしまったアニー。寂しがらないように、僕がこれまで通り飼育することに。毎朝、アニーの部屋の前に行き、僕は「おはよう!」と元気よく声をかけます。アニーは僕の足音がわかるようで、ドアの前で待機してくれて、それがまた嬉しい出来事でした。

部屋に入ると、世間話をしながら手と足に触れて、お互いにグルーミング。アニーは、僕の左腕のほくろから生えた毛がお気に入りで、指でひっぱったり、口でくわえたりします。僕はその間に、あかぎれの確認と保湿のクリームを塗ります。

次に、口を大きく開けさせて、口の中の健康チェック。僕も大きく口を開け、アニーに口の中のチェックをしてもらいます。さらには、お尻と陰部のチェック、発情の確認、最後は背中を見せてもらい、再びグルーミング。こうやって、ひととおりの健康チェックを終えます。

健康チェックを終えると、次は食事の時間。食べ物はヨーグルトをあげます。スプーンで口の中に運ぶと、美味しそうな笑顔を浮かべて食べてくれるんです。最後にコップに入れ温めた牛乳をあげて食事は終わり。

健康チェックから、牛乳をあげるまでの間、僕はず~っと楽しかったことや悩みごと、先輩や奥さんの悪口などを話し続けます。最初は緊張と恐怖だったアニーとの時間が、毎日の楽しみとなりました。

こういう毎日の触れ合いの積み重ねにより、信頼関係が結ばれて、苦い薬を飲んでくれたり、痛い注射も我慢してうけてくれるのです。