セネガルの人々が新型コロナを信じない3つの理由

「コロナなんて無い」
「あるとしても大した病気ではない」

セネガルの人々の多くが口を揃える。なぜ彼らは新型コロナの存在を疑うのか。そこには、人のつながりの濃さと、自国への不信感が影響している。

昔の日本のように、セネガルでは近所付き合いや親戚・家族間の交流が盛んだ。多くの地域では、近所の人はたいてい知り合いであり、毎日のように顔を見る間柄でも、会えば1分もかかるような長い挨拶を交わす。

そんな状況なので、近所に住む人だけでなく、自分に少しでもつながりのある人に何かあれば、噂話は光の速さで広まる(私自身も、久々に会った人が自分の近況を知っていてギョッとしたことが何度もある)。

▲荷物を頭にのせて運ぶ女性

セネガルでの新型コロナ陽性者の7割が、私も住んでいる首都ダカールで発生している。感染者発生地区を確認できるサイトによれば、首都内の各地区で発生しているはずなのだが、自分の知っている人、ご近所さんや大勢の友人たちに、誰一人として新型コロナ患者がいないことに、セネガルの人々は大きな疑念を抱いている。

確認サイト:Suivi du Covid-19 au Sénégal en temps réél

私も実際に、首都の各地区に住んでいる計50人ほどに聞いてみたが、知り合いが新型コロナにかかったことも、かかったという話も聞いたことが無いという反応だった。

▲道端に設置された手洗い用のポット

政府への不信が新型コロナへの不信に通じる

また、セネガルの人々は、国や政府のことを信用していない。日本での汚職事件や利権なんて、比較にならない出来事が起きるのだから、心情は理解できるし、私がこの国の国民でもきっとそう思う(たとえば、前大統領は国有地の売却費用で建設したモニュメントへ観光客が訪れるたび、入場料の35%を受け取っている)。

「諸外国からの多額の援助を受け取るために、(セネガル)政府は新型コロナの患者数を水増しして報告している」

セネガルの人々のなかには、そう考えている人が少なくない。

それに加えて、感染力の強さに疑問を感じている人も多い。セネガルでは、お店や役所、タクシーなどで働く一部の人たちを除き、罰金を取られない状況ではマスクをしない人も多い。

本来の食事は、丸い大皿からみんなで食べる。スプーンを使うこともあるが、どちらかといえば、手で食べるのが普通だ。食事の際は、誰かが手で具材を小さく切り分けて、皆に均等にいき渡るようにする。それはコロナ禍の今でも変わらない。それなのに、感染が急拡大しているという実感はまるで無い。

▲大皿からみんなで食べる(コロナ以前に撮影)

実際、2020年12月時点での1日の感染者数は20人程度。1日2千人近くが感染していた日本の100分の1であり、人口比を考えても感染者数は少ないと言える。

以上の状況を目の当たりにしてきた私は、セネガルの人々が新型コロナを信じないのも無理はないと感じる。また、日本のような貯蓄する習慣も無く、文字通り「その日暮らし」をする人々が多いセネガルでは、新型コロナよりも今日の収入と食事がなにより大切であるから、人々にとって新型コロナは「無いものにしたい存在」なのかも知れない。

こう記すと、セネガルの人々が変わっているようにも見えるのだが、新型コロナの脅威がなくなるのは、世界中の人々の願いでもあるのだから自然な感情ではないだろうか。

▲越冬のために毎年飛来するモモイロペリカン
セネガル山田
社会派HipHop MC。2014年、エボラ出血熱流行の最中にセネガルへ単身移住し、不動産業、小売業、観光業などを手掛ける。2018年、突如楽曲制作を開始。晋平太氏とコラボした楽曲『Omotenashi & Teranga』はTBS・テレビ朝日などで話題に。アフリカへの偏見いじめなど、社会問題を中心にラップ制作を行っている。