香港政府の発表によると、新型コロナ市中感染確認が8月25日時点で8日連続ゼロを記録。ワクチンに関しても、9月末までに政府が免疫の壁を構築するのに必要とする、接種率7割の目標を突破できる見通しであると伝えています。世界中を混乱に貶めている「ウイルスの乱」、しかしその影で「香港の乱」も起こっていたというのです。ジャーナリストの福島香織氏に詳しい事情について聞いてみました。
※本記事は、福島香織:著『ウイグル・香港を殺すもの - ジェノサイド国家中国』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
必乱の年に起こった「香港の乱」と「ウイルスの乱」
中国には「逢九必乱」というジンクスがあり、末尾に9のつく年は“必乱”、つまり必ず乱や厄災が起きるといわれています。
たとえば、1919年には抗日デモが暴徒化した「五四運動」。1949年は多数の命が奪われた国共内戦を経ての中華人民共和国建国。1959年にピークに達したチベット動乱(チベット自治区での抗中独立運動)。1969年は珍宝島事件とも呼ばれる中ソ国境紛争の勃発。1979年は政治の実権を握った鄧小平が、ベトナムに攻め込んで事実上惨敗を喫した中越戦争。1989年6月4日には、いわずもがなの天安門事件。1999年は反共勢力として江沢民政権から邪教認定された法輪功の弾圧。2009年には、大規模なウイグル弾圧事件として世界に衝撃を与えたウイグル騒乱が起きています。
そして2019年。逃亡犯条例改正に端を発する香港デモと、もうひとつ世界的な大事件となったのが、新型コロナウイルスです。
新型コロナは、この年の12月に密かに武漢で蔓延していました。まさに2019年は「香港の乱」と「ウイルスの乱」の年だったのです。
しかし「ウイルスの乱」は、世界の注目を「香港の乱」から奪い、香港問題への関心を薄れさせていきました。世界中の政府と国民が、新型コロナとの戦いに追われ、香港への関心を保てなくなってしまったのです。また、結果的にはウイルスの蔓延によって、香港の激しいデモも抑え込まれてしまいました。
この「ウイルスの乱」のどさくさに紛れて、習近平政権は香港を完全に“殺し”にかかります。その第一歩が、不意打ちのようなプロセスを経て2020年5月に可決し、6月30日深夜から施行された香港国家安全維持法(国安法)です。
この法律によって、中国は香港でのデモや政治運動を制限できるようになり、中国のやりかたに抵抗感をもったり不信感をもったりする人間を「国家政権転覆」関与などを理由に逮捕・起訴することができるようになりました。
これにより、世界でもっとも平和的に大規模デモを行ってきた香港のデモ文化は、封殺されるようになったわけです。香港の一国二制度の変質を決定的にした出来事だと言えます。
そもそも、中国は1997年の香港返還の際、中英共同声明によって一国二制度を今後50年(2047年まで)継続することを国際社会に約束していました。なので、この香港国安法について、世界中の多くの国々は、一国二制度50年保証の国際的な約束に違反していると非難しました。とくに当時のアメリカのトランプ政権は、いち早く林鄭月娥長官ら、香港・中国の関係官僚に対する制裁(米国内の資産凍結、米国人との取引禁止)を実施しています。
香港市民は、こうした国際社会の反応を心の支えに、2020年に予定されていた立法会選挙での民主派による過半数議席獲得を目指していました。立法会の過半数を奪えば、予算案などを人質にとって、政府に譲歩を迫れると考えたからです。
当時の立法会は、定数70のうち直接選挙枠が35議席。職能枠といわれる業界別組織からの候補が、業界別投票人に選出される議席が35議席。そして、その職能枠のうち5議席が区議枠となっていました。
2019年秋の区議選挙では、中国や香港当局の予想を裏切って民主派が圧勝。また職能枠でも、医療業界には中国の新型コロナウイルス隠蔽に対する不満が広がり、民主派候補が勝利する公算が大きい状況にありました。つまり、民主派が票の食い合いさえうまく回避すれば、立法会過半数議席を取ることは不可能ではなかったわけです。
この勝利を目指し、2020年7月、民主派は勝てる候補を絞り込むために、自主的な予備選挙を行いました。予備選挙に参加した市民は61万人。登録有権者の13%を超える人数です。
こうした動きに焦った中国当局が、選挙制度自体を親中派有利に「改正」して、立法会選挙の民主派勝利を阻止しようとした——というのが「二度目の返還」と呼ばれる全人代決定の背景です。
中国当局の傀儡である香港当局は、まず2021年1月に、この予備選挙を計画・実施した著名な民主派のメンバーや、現役区議を含む55人を香港国安法違反で一斉逮捕しました。そして、このうち47人を全人代直前に一斉起訴し、一斉公判を実施します。
議会の過半数を奪おうとしたことが、すなわち「政権転覆」への関与にあたる、という信じられないロジックでの起訴でした。なお、この公判では1日目が14時間、2日目が10時間という拷問にも等しい長時間尋問を行い、被告の1人が昏倒するという事態にもなりました。