6年先輩の谷津嘉章が三沢と川田の指導者に!

大学の職員だった谷津が、なぜ高校生の三沢を指導することになったのだろうか?

「三沢は身長もあるし、運動神経もいいし、器械体操をやっていたから体幹も強いだろうということで特待生だったの。それで俺は大学の職員だったんだけど“お前は三沢を絶対に国体でチャンピオンにしろ!”って、おっつけられたんだよ。三沢、大川(浩一)、それから三沢の1年後輩の川田(利明)を預かる形になったの。

川田は、最初は特待生じゃなくて、俺が職員になったときに一般から入ってきたんだよね。自分とばっかりじゃなくて、いろんなタイプとやらせなきゃいけないから三沢、大川、川田の3人を俺の車に乗せて、よく日大、国士舘、専修とかに連れて行きましたね。

三沢は大学の重量級とやらせて、合宿でガンガンいじめて。足利工業大学のレスリング部も教えていたけど、まだできたばかりの部だから1年生と2年生の7~8人しかいなくて、高校レベル以下だったから、高校の道場で三沢たちと一緒に教える形だったよ」(谷津)

では、指導者だった谷津の目には、高校時代の三沢と川田はどう映っていたのだろうか?

「川田はね、負けん気が強いから涙を流しながら“もう1回、お願いします!”って向かってくるんだよ。それをまたガチガチにやってさ。川田は直球だから、教えやすかったよね。でも三沢の場合、どっちかっていうと繊細だから、同じ泣くんでも“彼女に会いたい”みたいな。中学時代から付き合っているコがいたんだよ(笑)。なんていう名前だったかな?

だから、初めて会った頃の三沢は全然ダメだったね。当時はまだ勝とうという気持ちがなかった。頭は彼女のほうに行っちゃってるんだもん(苦笑)。だから俺にガッチリやられて、かなり泣いたと思うよ」

これに対して、三沢の高校時代の同級生である渡部優一は「谷津さんのレベルから見れば全然ダメだったんでしょうね。僕の印象とは違いますかね。三沢は別に繊細じゃなくて、ただ単にレスリングに興味がなかったっていう(苦笑)。

もうホントにプロレスをやるための準備体操みたいなものだから。練習もキツいし、本当に大変な毎日だったんですけど、三沢はどこか醒めていたんじゃないですかね。頭は常にプロレスと………もちろん彼女がいたのも知っていたし、たまに練習終わってから会いにいってたんですよ(笑)」と言う。

三沢も自伝で「高校時代、唯一の支えと言ってもよかったのが、中学2年から付き合っていた彼女の存在です」と書いている。練習でヘトヘトになっているはずなのに、最終電車で彼女が住んでいる春日部まで1時間以上かけて行き、2階の彼女の部屋に忍び込む。簡単に言えば“夜這い”だ。そして寝ないで始発電車で足利に戻り、朝練に参加していたという。

ハードな毎日の中でも、実はデートを楽しみ、青春を謳歌していた三沢。試合をガンガンやり、リングを下りたら豪快に遊ぶという昭和のプロレスラー気質を持っていた三沢の「やっぱ若い頃はさあ、遊ばなきゃダメだよねえ(ニヤッ)」という声が聞こえてきそうだ。

▲昭和のプロレスラーの資質はすでに持っていたようだ(写真中央が三沢)