「帰ってきたコヌマ」全開でお届けします

みなさま、、、もうお気づきの方も数名いらっしゃるようですね、、、

なんと、、、2022年も明けてから、ひと月以上の月日が流れています、、

なんとコヌマ、まだ年始のご挨拶をしていないつもりでおりまして、1度誤って冒頭を新年仕様にしてしまっていた。最近はといえば、忌まわしき某感染症が再流行している世の中。それに加えてこの寒さといったら! 変わらぬ癒しを継続中の「幸せ沼」でございます。耐え忍ばねばならぬことばかりの生活で、文章を通じてみなさまと温かいつながりがあること、とてもとても光栄に思いまする。

この連載を続けるにあたって、お世話になっている方々に大いに大いに感謝したい。支えてくださっているコヌマに関わるみなさま。ありがとうございます!!!!!!と、書きながらふかぶかお辞儀をしている。

今回はもう、「帰ってきたコヌマ」全開でお届けするに決まっている。そして副題付き「帰ってきたコヌマ~またもや入院するコヌマ~」だ。前回のニュースクランチでは、コヌマの身に突如として舞い降りた入院生活の模様(?)をお届けした。そして今回は、ふたたび舞い降りた入院生活の模様(?)をお届けするわけだ。

しかし、第一次入院と第二時入院の間には重要な史実がある。第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期、1924年頃から1929年が相対的安定期だったように。スケールが違いすぎて愉快なので、例えとしては非常に秀逸だ。第一次入院と第二時入院のコヌマ的史実、いや、この連載を読んでくださっているアナタも、ひょっとすると関わっているかもしれない。公文書にこそならないが広く知れ渡っている、と思う。しかもなかなか激動だ。

日本史でいうところの、大正時代あたりと思っていただけたらイメージしやすいかもしれない。スケールが違いすぎてむしろわかりにくい。あっぱれだ。いくらコヌマ的史実が周知の事実とはいえ、そこに含有されたわたくしの心の機微までを、いったい誰が知るというのだろう。いや、知るはずがない。こまかな感情の動きにこそ、「幸せ沼」ポイントが鏤められているわけだ。鏤める(ちりばめる)、なんて難しい漢字なんだ。感嘆してしまった。

文章というのは、触れ合えば触れ合うほど奥が深く、まさに沼。というわけで、今回は第一次入院と第二次入院の、院間期(コヌマの造語だ)を振り返る。それと共に、オマケとして第二次入院のよもやま話も若干、マジで加筆程度にしたためていく。と、いうわけでメインを美味しくいただくための前菜を。今からお届けするわたくしの経験が、あるファンの方へ届いて欲しいなという思いも込めて、赤裸々に綴る。

▲入院先の病院からお届けします!

生涯忘れぬ入院生活と江戸川乱歩『二癈人』の共通点

これは、第一次入院での出来事。きっと、わたくしはこれを生涯忘れぬだろうと思う。入院史でも初期の、つまり具合が非常に悪かった時代の史実ナリ。夜、というか夜中に調子が悪くなるのを繰り返したfew daysのうち、最もbat day。わたくしの身に起こったのはパニック発作のようなものであった。

そのときは、恐ろしいほどの動悸と「今すぐ死ぬ!」という謎の自信とに満ち満ちていて、何かが乗り移ったような感じ、うーん、あれは絶対にコヌマでは無かった。兎に角、兎に角、不安でいっぱいで当直の医師を呼びつけ、看護師さんの手をこれでもかと煩わせてしまった。ほんとうに、ほんとうに申し訳なかった。あそこまで自分を追い詰めた自分にも、ごめんねと思わずにはいられない。申し訳なかったと謝って「いいよ、全然」と許す。そんな場面も、人生には必要であるに違いない。

さて、そのような、自分がコントロールできなくなる症状を抱えた登場人物を描いた短編を先日読んだ。「幸せ沼」恒例、書物紹介コーナーの始まりだ! 今回ご紹介するのは、わたくしにしてはとても珍しく推理小説。先に言っておくと、江戸川乱歩の『二癈人』という短編だ。

実はこれ、わたくしが自ら手に取った書ではなく、はたまた課題図書のように読まされた書でもなく、ではキッカケは何かと言うと、ある趣深い方からの贈り物だ。その方にも今回の連載が届けばいいな。人間同様、読んだ数だけ出会いの物語がある。そのドラマを紡ぎだせるのも、読書の魅力のひとつだ。

あまりに素敵すぎて、みっつぶんくらいありそうだ。『二癈人』は、少しだけ怖い描写がある。内容は、こんな感じ。ネタバレしないで! という方は、あらすじを読み飛ばしてくださると光栄だ。後ほどお呼びする。

主人公の井原氏は、湯治(つまり長めの温泉旅行で病気の治癒をはかること)に来ていた他の客である斎藤氏から英雄伝を語られていた。この斎藤氏は、戦いにより酷い傷を負っていて、見るに堪えない姿なのである。彼の話を聞いた井原氏、不思議と自らの過去を打ち明ける気になる。そして、いよいよ井原氏の経験が明らかとなる。

その経験というのは、大学生時代に夢遊病に侵され、自分の眠っているあいだに罪を犯してしまったことだ。彼は自分の知らぬうちに人を殺している。これを聞いた斎藤氏は話を掘り下げ、考察を述べるのだ。斎藤氏はなんと、証言者である井原氏の友人である木村が、井原氏を夢遊病に仕立て上げ、木村の犯した罪をなすりつけたのではないかと言うのだ。

これを聞いた井原氏は顔を青くする。そして、沈黙が2人を包み、やがて斎藤氏は去っていくのだ。そう、斎藤氏は他ならぬ木村自身。衝撃的な展開に、井原氏は自分が愚か者だと感じ「世にもすばらしい木村の機智を、悪にくむというよりは寧ろ讃美しないではいられなかった」と語るのだ。