水商売にどっぷりの日々
最初に仕事を教えてくれたのは、ホールのバイトリーダーだった。ショーが始まるのが19時で、出勤は15時。ホール掃除から始まり、前日に洗った皿やグラス、ボトルをテーブルに並べ、トイレや楽屋を掃除して、電話が鳴るとお客さんからの予約を取り、あるいは店のシステムを説明したりと意外に忙しい。
オープンが30分前になると朝礼が始まり、その日の注意事項伝達、簡単な挨拶をみんなで繰り返して声を出す。そして、オープン。
コロナ前までは、開店前から行列ができる人気店だったキサラ館だが、当時は18時にドアを開けても店前に誰も並んでいなかった。そうすると、俺やアルバイトはビルの下に降りてチラシ配りなどをするハメになる。
夏は暑いし、冬は寒い。そこそこお客さんが入ってくると、ホール作業に戻される。
タレントの在籍数は当時50人ほど。お金をもらっているプロ(芸人)が見せるステージは、やはり勉強になった。ネタの見せかた、なんてことない客とのやりとり、それらすべてが生で見れた。彼らにピンスポットを当てながら、自分もいつかあのステージに立ちたいと思っていた。
仕事は楽しかった。やることは単純だから、数週間もすれば仕事のコツもわかってくる。店長や社員、アルバイトの子たちと飲みにいくようになったのもこの頃だ。
営業が終わり、片付けが終わるのが深夜0時。タクシー代なんて持ち合わせない俺たちは、電車が走る朝まで飲むことになる。当時はまだ20代で体力があったから、朝までどころか昼まで飲むことも多く、寝坊して仕事に遅刻して怒られたこともあった。飲むと楽しくなって、歯止めが効かないのが俺の悪いところ。先輩に飲めと言われたら飲んだし、後輩に飲ませた酒も数えきえれない。
解散してみんなと別れ、駅まで必死に辿り着いたら、新宿から小田急線の始発に乗る。だが、寝過ごして小田原まで行ってしまうなんて日常茶飯事だった。「やっちまった!」と上りの新宿行きに乗ったら、また寝過ごして、気がつけば新宿。酒はまだ残っているし、家に帰るのも面倒になって、カプセルホテルに転がり込み、仕事まで仮眠をとった日もあった。
そして、仕事にも慣れてきたある日の飲み会のこと。お笑い芸人をやりながらバイトしてる男がいると、スタッフが話しているのを耳にした。次の日、ドレットパーマのような髪型で、ガッシリとした体格、一見強面だが、どこかボーっとした雰囲気の男が店長に怒られているのが目に入った。
この男とはその後20年近く付き合うことになるのだが、その時の俺も彼も、そんなことを知るよしもなかった。
(構成:キンマサタカ)