「さりげなく命がけという生きざま」をリングで見せてくれた三沢光晴。昨年、そんな彼のノンフィクション大作を上梓した元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏が、幼少期、アマレス時代、2代目タイガーマスク、超世代軍、三冠王者、四天王プロレスを回顧しつつ、三沢の強靭な心をさまざま証言から解き明かす。今回は、三冠王座を奪取すべく、スタン・ハンセンという巨大な壁にぶつかっていく三沢の生きざまに迫る。

先輩スタン・ハンセンから得た大きな学び

▲何度もハンセンから叩き潰されながらも、三沢は持ち前の精神力で向かっていった

全日本の頂点に立つために三沢は鶴田超えだけでなく、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田&天龍源一郎の2世代と抗争を繰り広げたトップ外国人スタン・ハンセン超えにも取り組んだが、こちらも苦戦を強いられた。90年7月、91年4月に連敗を喫してから92年3月5日の日本武道館でハンセンの三冠王座に挑戦。しかし三沢の体調は万全ではなかった。

素顔になってから1年10か月……鶴田や田上明、さらにハンセンやテリー・ゴディを始めとする大型外国人たちとの戦いは、186cm/110kgの三沢の首や腰、膝に大きなダメージを蓄積させた。しかも、91年10月には鶴田に鼻骨を骨折させられている。

満身創痍の状態で迎えたハンセンとの3度目の一騎打ちだが、2月22日の『エキサイト・シリーズ』開幕戦で、ウエスタン・ラリアット2連発を食って大の字にさせられる醜態をさらすと、三沢は「はっきり言って不安のほうが大きい。返し技が効く相手でもないし、俺のスタイルが通用しない相手だよね」と弱気な言葉を発していた。

そして本番の三冠戦でも、体の痛みからくる不安と恐怖を拭うことはできなかった。場外戦で痛めている腰にストンピングを浴び、場外フロアでのDDTでは首にダメージを負った。リングに戻ると初公開のドラゴン・スリーパーで締め上げられ、パワーボム、バックドロップで再三2カウントまで追い込まれた。

ダイビング・エルボーアタック、フェースロックで反撃に出たものの、極めきれることができず、ランニング・エルボーを狙ったところで一瞬早くラリアットを決められ、またもキャンバスに沈められてしまったのである。

「怪我は精神力でカバーしなきゃいけないのに、不安な気持ちのほうが上だったような気がする。動けないと思っていたけど、終わってみると、もっと動けたかな。やっぱり最初から気持ちがそうだとダメだね。いい勉強になった」と、珍しく反省の弁を述べた三沢。その1か月半後の4月17日、愛知県体育館における『92チャンピオン・カーニバル』優勝戦で、ハンセンとまたまたリング上で相まみえた。

Aブロックにエントリーされた三沢は、鶴田と30分時間切れになった以外は、渕正信、菊地毅、ゴディ、ジョニー・エース、ダグ・ファーナス、ジョー・ディートン、マスター・ブラスター、ジャイアント・キマラに勝って優勝戦に進出。

一方のハンセンは、川田利明、田上、小橋健太(現・建太)、小川良成、スティーブ・ウイリアムス、ダニー・スパイビー、ダニー・クロファット、デビッド・アイズリー、ビリー・ブラック〔家族の不幸で来日キャンセル=不戦勝〕相手に、全勝でBブロックを勝ち上がってきたのである。

3月の対戦では試合前から精神的に負けていた三沢だが、今回は先に仕掛けてハンセンの突進力を封じ込んだ。初対決の時と同じように徹底した左腕攻撃に出たが、当時と違うのは攻撃のバリエーションが増えたことと、三沢にスタミナが付いたことだ。リストロック、アームブリーカー、脇固め、さらにスタンドではミドルキック、ドロップキックで左腕にピンポイント攻撃を加えて、10分過ぎまで試合を支配した。

13分過ぎに、ハンセンはショルダータックルを突破口にしてDDT、バックドロップ、パワーボムの大技攻勢で反撃。しかし、三沢の攻撃により利き腕の左腕が使えず、技の威力は半減。三沢は再び左腕に的を絞って動きを封じると、フロッグ・スプラッシュでフォールを迫り、フェースロックでギブアップを迫った。

18分、試合のキーポイントとなる場面が生まれた。ハンセンが右のラリアットを決めたのである。もはや左のラリアットは打てないと判断した三沢は、再びハンセンが放った右のラリアットを左腕で完璧にブロックしたが、次の瞬間、まさかの左のラリアットが火を噴いて三沢の顎を撃ち抜いたのである。

「何がなんでも勝って優勝する」という三冠王者ハンセンのプライド、勝利への執念が三沢を上回ったのだ。これも三沢にとって勉強になった一戦だった。外国人選手ながら、ハンセンは三沢にトップの心構えを教えてくれる偉大な先輩だった。

▲三沢の強烈なエルボーがあのハンセンの意識まで刈り取った!