ついにハンセン超え! 三冠初戴冠を果たす!!

三沢が「これでまたダメだったら、1年ぐらいは三冠に挑戦しない。そんなに負け続けていたら、俺は三冠の顔じゃないってことだからね。チャンピオンに対しても失礼になるし」と、不退転の決意を持ってハンセンの三冠王座に挑んだのは、それからさらに4か月後の『サマー・アクション・シリーズ2』第3戦の8月22日、日本武道館だ。

この時も三沢のコンディションは万全ではなかった。前シリーズの7月21日の後楽園ホールにおける三沢&小橋&菊地vs田上&渕&小川の6人タッグで、コーナー2段目から反転してのダイビング・ヘッドアタックを田上に仕掛けたが、頭を鷲掴みにされて叩きつけられ、左肩からキャンバスに突っ込み、肩鎖関節脱臼及び靭帯損傷の大怪我を負ったのだ。

左肩をテーピングで固定して試合を続行したものの、和田京平レフェリーと仲田龍リングアナが話し合い、テレビ解説席にいた馬場の了承を得ると、三沢の棄権による超世代軍の試合放棄を宣告。三沢の代わりに川田が超世代軍に入って、再試合が行われ、その最中に三沢は東京医科大学病院に向かった。

驚くべきは、三沢は翌日の対馬大会を休んだだけで、以後はテーピングをしながら最終戦まで出場し続けたことだ。このシリーズは、鶴田が左足首の負傷を理由に全休していただけに、三沢は“もうひとりのエース”として休むわけにはいかなかったのだ。

シリーズ最終戦まで、残りの8試合を戦い抜いた三沢は「痛みが抜けないけど、やるしかなかったからね。俺が無理して出場したことで、逆に超世代軍の足を引っ張っていたかもしれないけど、俺も意地でも休むわけにいかなかったし、怪我の状態で戦い抜いたことで自信につながった。あらためて健康体の大切さも知ったしね」とコメントした。

オフを置いてシリーズが開幕し、ハンセンとの三冠戦前夜の後楽園ホールでは、川田&菊地とトリオを結成してゴディ&ウイリアムス&リチャード・スリンガーと対戦して、ゴディのラリアット、ウイリアムスのオクラホマ・スタンピード、殺人魚雷コンビの合体パイルドライバーを食らってパンク寸前に見えたが、三沢は「体? 心配ないよ。かなり疲れたけど、後遺症はないよ。逆にこれだけ攻められても大丈夫だったんだから、明日への自信につながったよ」と強気な言葉に終始した。

3月にハンセンに挑戦したときには、体調不良によって試合前から精神的に負けていた三沢だが、わずか5か月でここまで強靭になっていたのである。

そして、いよいよ覚悟の三冠戦。三沢はテーピングをせずにリングに立ったが、ハンセンの厳しい左肩、左腕攻撃に苦悶した。4月の『チャンピオン・カーニバル』優勝戦とはまったく逆の展開になり、ハンセンのアームロック、肩へのストンピング、エルボードロップ、脇固めに動きを封じられてしまった。

それまでの三沢だったら、ここで諦めてしまっていたかもしれない。だが、15分過ぎにスピンキックをヒットさせてハンセンをダウンさせると、後頭部にエルボーバットをぶち込み、ダイビング・エルボーアタックからフェースロックでギブアップを迫る。

試合は20分を超えて一進一退に。ハンセンのラリアットを飛びつき腕十字固めで切り返そうとする三沢だが、2度目の一騎打ちと同様にブロックバスターで潰され、またまた左肩を痛打。ハンセンはその左肩を踏みにじり、ショルダーバスターから腕ひしぎ十字固め! あのハンセンだって必死なのだ。

続くハンセンのリストロックを、エルボーバット一発で振り切った三沢は、走りこんでエルボーバットを狙うが、ハンセンはカウンターのハイブーツ。しかし、すぐさま立ち上がった三沢は渾身のエルボーバット! これがハンセンの顎にモロに入った。前のめりに倒れるハンセン。

疲労困憊の三沢も、前のめりに倒れて両者ダウンになったが、先に起き上がった三沢がうつ伏せのハンセンの体をなんとか仰向けにして片エビ固めで押さえると、カウント3! 三沢は5度目の対決にしてハンセンに初勝利、素顔になって2年3か月でついに頂点の三冠王座を手にした。

▲別角度から見ても全身全霊で放ったエルボーだとわかる

試合後、日本テレビのインタビューで「今までの俺だったら“ファンのために”っていうのはなかったですけどね、今日の試合にくるまでにファンの大切さというのがすごくわかってね、今日は本当にファンのためにも勝ちたかったし。だから、すごくうれしいですよ。本当にありがとうございました」と語ったのである。

ファンの応援で天龍退団後の全日本が盛り返し、超世代軍も三沢も成長した。ハンセン超えと三冠奪取は、一緒に歩んできたファンへの恩返しでもあったのだ。