「無条件降伏」こだわり続けたルーズヴェルト
ソ連は、まずアメリカに対日参戦を正当化するプロパガンダを行います。「日本軍は抵抗力が強く、日本本土の地上戦を戦い抜かなければ降伏させられない」という軍事的情報をルーズヴェルト政権の上層部に上げ、これに反する情報は遮断するという工作を米軍や政府内で行っていました。
『スターリンの秘密工作員』によれば「アメリカ陸軍はソ連の対日参戦を必要としている」という意見が、軍の総意であるかのように吹聴したのは、ジョージ・マーシャル参謀総長と国防総省の彼のスタッフでした。マーシャルは、戦後の、対ソ警戒を強めた欧州復興援助計画(マーシャル・プラン)でよく知られていますから、反共のイメージが強いのですが、少なくとも戦中は極めて親ソだった人物です。
また、ソ連は強硬な対日和平方針を煽りました。苛酷な戦後計画を日本に突きつけて「無条件降伏しか認めない」とする方針をアメリカ側に維持させ、日本が降伏を躊躇するように仕向けました。現に、ルーズヴェルト政権とトルーマン政権が、天皇の安全を保証せずに無条件降伏を迫り続けたことが、日本の降伏を遅らせたのです。
ルーズヴェルト大統領は、スターリンのこうした戦略の最高の協力者でした。アメリカの軍幹部たちは、この事態を深刻にとらえて、ルーズヴェルトに諫言していました。無条件降伏を要求すれば、日本は死に物狂いの状況におかれて戦争は長びきます。それは連合軍側の戦死者が増えることを意味しました。それでも、ルーズヴェルトは無条件降伏を主張し続けました。
「ソ連の対日参戦は必要ない」「連合国軍はすでに勝っている、ただちに講和すべきだ」と主張する軍人たちが少なからずいたことは、戦後、連邦議会の調査や証人喚問、新聞報道などで明らかになっています。
海軍では、ウィリアム・リーヒやアーネスト・キング、チェスター・ニミッツといった高名な軍人が、ソ連軍の日本本土上陸侵攻に反対していました。それでもルーズヴェルト大統領は「無条件降伏」政策にこだわり続けました。
ところが1945年4月、ルーズヴェルト大統領は急逝します。代わって大統領に就任した副大統領のトルーマンは、必ずしも「無条件降伏」政策にこだわっていませんでした。
よって、苛烈な硫黄島の戦いと沖縄戦を見たトルーマン政権は、日本との条件付き降伏を模索するようになったのです。
あのまま、ルーズヴェルト大統領が存命であったならば、場合によって日本は本土決戦を強いられていたかもしれません。
※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。