平成プロレスファンの絶大な支持を集めた

▲究極のプロレスへの号砲となった投げっ放しジャーマン・スープレックス

三沢・川田・田上・小橋が奏でる“四天王プロレス”は、限界ギリギリの大技の応酬、完全決着の戦いで、平成プロレスファンの絶大な支持を集めた。特に受け身の技術が向上していくのと並行して、急角度になっていく危険な投げ技の攻防が注目されたが、その原点となったのが93年7月29日に日本武道館で行われた三沢vs川田の三冠戦である。

前年10月21日の日本武道館における両者の三冠戦は超世代軍の同門対決。「超世代軍のクオリティを満天下に知らしめる」という意味合いが強かったが、今回は超世代軍と聖鬼軍という敵同士になって雌雄を決する大一番だ。

足工大附属レスリング部の先輩後輩であり「川田には絶対に負けない!」という三沢の先輩の意地と、「絶対に追いついてやる!」という川田の意地……技術だけでなく、2人のナマの感情が剥き出しになる戦いがファンを熱狂させた。

川田が顎へのミドルキック、顔面ステップキックを繰り出せば、ムッとした三沢は顔面への膝蹴りで対抗。エルボーバットの応酬は、三沢が右のエルボーを振り抜いて川田をぶっ倒した。これに対して川田は拳を固めて顔面パンチからジャーマン、さらに顔面パンチからパワーボムで荒々しく反撃する。

そして試合はクライマックスを迎える。三沢が真後ろに投げっ放しジャーマン・スープレックスを炸裂させると、川田は首からモロにキャンバスに突き刺さったのだ。なんとか立ち上がった川田は、まるで足工大附属レスリング部に戻ったかのようにレスリング流のタックルを仕掛けるが、三沢の攻め手は緩むことはない。実に計3発の投げっ放しジャーマンを放ったのである。

それは渕が「三沢に何か鶴田さん的要素というか、非情な強さを感じたよ」と、評したほどの厳しい攻めだった。三沢には「もうダメだ……」という川田の声が聞こえたというが、それでも強引に抱え起こすと、最後はタイガー・スープレックスでフォール! 三沢が鬼になった試合だった。

「川田がそれなりの気持ちで挑んできたから、こっちも叩きのめさなきゃいかんという気持ちがあったよね。自分でも戸惑ったけど、自分に言い聞かせてやったよ。悲しくなったね、一瞬ね」(三沢)

やられた川田は「やっぱり空を飛んでいく投げっ放しジャーマンはキツかったよ(苦笑)。今、あんな投げっ放しジャーマンは誰もやらないよね。宙を飛んでいって首がグシャッとなる投げっ放しジャーマンだったからね。今のゴロゴロッていう感じじゃなくて、グーンと飛んでグシャッていう。首がもげちゃうんじゃないかっていうぐらいすごかったよ。そのへんからどんどんエスカレートしていったよね。確かにあの試合が四天王プロレスの始まりだったかもしれないな」と振り返った。

あの三沢の投げっ放しジャーマン……観る者の想像を超える大技3連発から、四天王の究極のプロレスはスタートしたのである。

▲94年6月3日の川田戦ではタイガードライバー91も出した