心配するな、朕には確証がある

開戦直前まで、親密な交流を行っていたジョージ国王と昭和天皇のあいだにホットラインがあり、終戦直前にジョージ国王から昭和天皇に、降伏の決断につながる「国体護持に関する連絡」があったことは十分考えられます。

昭和天皇のご聖断は、8月9日深夜(10日未明)と8月14日に下されました。9日の会議後、日本政府は国体護持を唯一の条件として、連合国側にポツダム宣言受諾の意志を伝えました。

しかし、連合国側が「天皇は連合軍最高司令官に従属(suject to)する」「日本の政治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定される」と回答(バーンズ回答)したため、日本の中枢で再び交戦論が台頭して混乱します。

▲1945年8月14日の御前会議 出典:ウィキメディア・コモンズ

実際、塚本証言で親電が届いたとされる14日の前日13日午前、陸相の阿南惟幾(あなみこれちか)は「バーンズ回答は天皇の地位が保証されていない」として戦争続行を唱えたそうです。

そのとき、昭和天皇が阿南陸相を諭すように「アナン、心配するな、朕(ちん)には確証がある」と語ったことを、作家の半藤一利が阿南の義弟で軍務課員だった竹下正彦から聞いています。

14日の親電が英王室から正式な「国体護持」を伝えたものなら、天皇の確証をさらに確かにして、二度目のご聖断を後押しした可能性があります。

祖国の危機を救った“誠実なインテリジェンス”

1987年8月17日、89歳11カ月の天寿を全うした小野寺の東京・世田谷の自宅に、プリンス・カール・ベルドナッドから百合子夫人宛にお悔やみ状が届きました。日本の窮地を救おうと心を通わせた小野寺を慮ってか、王冠とイニシャルC・Bの入った便箋に直筆でこう書かれていました。

「私の旧友、小野寺信の死に対し、小野寺百合子夫人と家族に最も深い哀悼の意を表する。彼はあのように最も正直かつ高潔な節操をもった人であった。だから私は彼を常に私の最も輝かしい想い出の中におく」

プリンス・カールから百合子夫人宛のクリスマス・カードは、毎年届けられたそうです。外務省、日本政府から正式な交渉委任権限を得ない小野寺の和平工作は、バックチャンネル(裏工作)だっただけに「個人的で未熟なもの」として批判を受けました。

しかし、小野寺の工作が、連合国軍の首脳部に伝えられ、結果として皇室の存続につながったとも考えられます。独り相撲では決してなかったのです。

戦後、日本が共産主義国家との分断国家にならず、象徴天皇を中心とした民主国家として再生したことを考えれば、米国と中国が世界の覇権を争い、溝を深める21世紀に、小野寺のインテリジェンス――かつて北欧の都で小国の情報士官と心を通い合わせ、祖国の危機を救った“誠実なインテリジェンス”に注目してもよいと思います。

▲1987年8月17日、89歳11カ月の天寿を全うした小野寺へプリンス・カール・ベルドナッドからのお悔やみ状(小野寺家提供)