朝鮮戦争が転機となり「強い日本」政策へ
この対日政策が転換した契機となったのは、1949年の中国共産党政権の樹立と、その翌年に起こった朝鮮戦争でした。
朝鮮戦争の勃発は、「日本で武器・弾薬の生産をしなければ、アメリカは朝鮮半島で戦えない」という現実を明らかにしました。アメリカは「弱い日本」政策から「強い日本」政策へと転換します。
1946年1月4日に行われた、連合国最高司令部覚書に基づく公職追放は、軍人や保守派の人たちが「軍国主義者」、あるいは「右翼」として追放されたものでした。
ところが朝鮮半島の情勢が緊迫するなか、1950年6月には幹部をはじめとする日本共産党の関係者が追放されました。そして朝鮮戦争勃発後の8月、マッカーサー司令官の命令で警察予備隊が組織されます。国家地方警察と自治体警察の警察力を補うものとして設けられた武装組織です。警察予備隊は1952年10月、現在の陸上自衛隊にあたる保安隊に改組されます。
日本は「侵略戦争をした悪い国」だから、再び武装することを禁じると、現行憲法で規定されました。その背景には、「強い日本がアジアに混乱を巻き起こす」ので、日本は弱いほうがいいとする〈弱い日本派〉の考え方がありました。
ところが、現行憲法制定からわずか4年も経たないうちに、中華人民共和国(中国共産党政権)の樹立と朝鮮戦争の勃発を受けて、「弱い日本のままだと、アジアの平和と安定を守ることはできない」、言い換えれば「強い日本がアジアに安定をもたらす」という〈強い日本派〉の考え方に立脚するようになり、日本に対して再軍備を命じたわけです。要は国際社会の状況次第で、アメリカの対日政策はころころと変わるわけです。
その後もアメリカは、基本的には旧ソ連や中国共産党政権、そして北朝鮮の軍拡に対抗して、日本に対して軍事力の増強を求めてきましたが、日本はどちらかというと、立場をはっきりさせず、選択をすることを避けてきたと言わざるを得ません。
しかし、そろそろ「日本は侵略戦争をする悪い国だから、日本を弱くしたほうがいい」という〈弱い日本派〉の立場に立つのか、それとも「日本が強くなったほうが、アジアの平和と繁栄を守れる」とする〈強い日本派〉の立場に立つのか、選択をしなければなりません。
日本人自身が「日本は侵略戦争をする悪い国だから、日本を弱くしたほうがいい」という〈弱い日本派〉の立場に立つならば、国際社会も当然のことながら、日本が活躍することを望まないでしょう。実際に〈弱い日本派〉の立場に立つ中国や韓国は、ことあるたびに日本を非難し、日本の地位と名誉を損なう動きをしてきます。
一方、「強い日本がアジアに安定と平和をもたらす」と考える〈強い日本派〉の立場に立つならば、日本は積極的に国際社会に出て活躍すべきですし、第二次安倍政権などは「自由で開かれたインド太平洋構想」を掲げて、アメリカ・インド・オーストラリアなどとの関係を強化しつつありました。そして「頼りになる日本」となれば、友好国は過去の日本について、あれこれと言わなくなるものです。
※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。