北海道の熱いスタッフ、そして絶景漫才が生まれた背景
――絶景で漫才を披露するまでには、ロケをしたり、大喜利もしたりしてますね。
根建 番組を作ってる人がお笑いが好きで、大学でお笑いをやってて『M-1』にも出てるらしくて。だから、めちゃくちゃお笑いな番組にしてくれてたんですよ。
文田 大学卒業後、北海道のテレビ局に入ってADからディレクターに上がった初めての番組で、どうしても囲碁将棋で番組を撮りたいって言ってくれたんです。オードリーさんとかタカアンドトシさんと番組をやりたいのはわかるんですけど、北海道になんのゆかりもない僕らを呼んでくれるなんて、超トガッてますよね。ラッキーです。ありがたい。
根建 マジでラッキーでした。カメラも3~4台用意してくれたのも異例のことだったらしいです。
文田 ディレクターデビューだから、制作費も特別に出してくれたみたいで。
根建 しかも、担当ディレクターのめちゃくちゃ上司の方をパシリ扱いしてて。テロップを見たら“運び屋”って書いてありました(笑)。
文田 喜多さんね。あの人、テロップの中で一番偉い人なんです。『ディレクターに花添えたいから来たんだけど、結局、荷物持ちだよ』って笑ってました。
――いい出会いから生まれた番組だったんですね。そもそも、YouTubeでやってた絶景漫才から波及したものですが。
文田 やっててよかったです。儲けようと思って始めたわけではないんですけど、それにしても儲かんないんですよ。あんまり本数も上げてないですしね。けど、僕らの名刺代わりになったというか、何か番組に出るときには絶景漫才のシーンを使ってもらえたりもするので、始めてよかったです。
――YouTubeはそもそもチャンネルを開設していなかったときに、カナダで映像のお仕事をされてた方からプレゼンを受けて始めたんですよね。なぜ絶景漫才をやることになったんですか?
文田 トークしたり、企画したりしてもよかったんですけど、みんなやってるじゃないですか。で、僕らの動画を改めて見たとき、再生回数が多いのはネタ動画だったので、ネタの動画を上げようと思って。最初は人形劇にしようと思ってたんですよ。人形が喋って、背景だけ変えれば何本も撮れるじゃないですか。そうしたら子どもも見てくれるのかなって思ったんですけど、よくよく考えたら子どもに見てほしい漫才が1本もないなって。
根建 見るわけねぇよ、こんなもん。
文田 僕らが顔を出さずに漫才やることって、あんまり意味ないのかなと思って、竹川君っていういつも付いてくれてる作家に言ったら、『それ、本当に面白いと思ってます?』って正論が飛んできて(笑)。
根建 ふふっ、厳しいよね。人形でやるのは知らされてたんですけど、その会議に出席してなかったので、僕は待ちの姿勢でした。
文田 誰かが嫌がってるのに無理やりやる程のものでもなかったので、何かほかにやりたいことを考えてたときに「前々から絶景漫才をやりたかったんだけど」って言ったら、それやりましょうって盛り上がったんです。