自分の絵本を出す気はなかったけど・・・

▲けいたろうさん2冊目の絵本『どうぶつたいじゅうそくてい』

『どうぶつしんちょうそくてい』や『たっちだいすき』など、絵本作りも手掛けているけいたろうさん。しかし、もともと絵本は作らないでおこうと思っていたそう。

「聞かせ屋。けいたろうの役割は、すでにある“いい絵本を広めること”だと思っていて。絵本ができて本屋さんに並んでも、その絵本を読むところまで作者さんはやらないじゃないですか。僕はその役割だなと」

しかし、あるとき突然、絵本を出さないかとお誘いがあったという。

「最初は断っていたんですが、“君ほど全国を回って絵本読んでる人はいないから、作品を残しなさい”と言われて、そう言ってもらえるうちが花だよなと思い、少しづつ考え始めてみたんです」

自分の絵本を出すことを本格的に考え始めてみたら、アイデアも10個ほど出てきたという。そうして刊行された絵本が『どうぶつしんちょうそくてい』である。

「自分の絵本を作ると、読むことも求められるし、もちろん社会的責任として売らなきゃいけない。でも、自分の作品ばかりで講演会をやるようになったら、それは違う。聞かせ屋の役割はそうじゃないと思ったので、最初の2冊をほぼ同時に出してからは、もう3年は絵本出しませんって言い張ったんです。いろいろオファーも頂いたんですけど、“3年出さないようにしてるんです!って、生意気に返事させていただきました(笑)」

しかし、自分で絵本作りを手掛けた経験は、聞かせ屋の活動をするうえでもプラスになったという。

「講演会で自分の絵本を読むことは、作ることでも読むことでも勉強になりました。赤ちゃん絵本を作ることって、すごく難しいんですが、自分の娘が赤ちゃんのときに、赤ちゃん絵本を出すことができましたし、自分が翻訳した海外の絵本も出せることになって。絵本から聞かせ屋の活動を知ってもらえることも増えましたし」

また、自分の絵本を出版したことは、収入の面でも助けになった。コロナ禍に突入してから、講演会が軒並み中止になってしまったという。

「延期延期で中止になってしまった講演もあります。それに、例えば2年延期が続いたとして、0歳だった子はもう2歳になってるんですよね。僕と会えるはずだった子たちが会わないまま2歳になってしまって、その2年間を絵本と出会わないまま過ごしてしまった子がいたら……、絵本と出会うきっかけなくしちゃったかなって」

絵本と出会えないまま時が過ぎてしまうくらいなら、オンラインであってもプラスになるならと、リモートでの読み聞かせも実施しているという。

今後の野望や展望を聞いてみたが、そういうのはあまりないという。そこには、けいたろうさんが考える「聞かせ屋」のあるべき姿を見ることができた。

「絵本を投影して、もっと大きなステージでやるとか、テレビに出てやるとか、そういうのじゃないんですよね。手の届く範囲、声の響く範囲で絵本を見てもらうことがベストだと思うので、実は今が一番いいところにいるんですよ。なので、このままやり続けたいなって思っています」

最後に、好きなことを仕事にしたい人へ、けいたろうさんからメッセージをもらった。

「好きを仕事にする、好きを貫くには、その道で出会う人たちに応援してもらうことが必要だと思うんです。“あいつ、なんか応援したくなるんだよね”っていうか、そんな感覚になってもらえたらなと。一所懸命な姿勢を見てもらうのが一番だと思うんで。それから、ほかにも大事にしていることがあって、前向きな人間でいること、よく笑うこと、なんでも楽しもうとしてみること。僕は前向きな人間になるために、ネガティブな言葉を使わないように心がけてます」

▲取材チームにも読み聞かせをしてくれました

プロフィール
聞かせ屋。けいたろう
1982年東京都出身。全国各地での絵本の読み聞かせや、自らの絵本の出版など広く活動している。保育専門学校での恩師との経験から、2006年に夜の路上で絵本の読み聞かせを始める。代表作に『どうぶつしんちょうそくてい』『たっちだいすき』、翻訳絵本『まいごのたまご』『パパとタイガのとびっきりジャンプ!』など。Twitter:@kikaseya