そこに自分の居場所があるという安心感
コロナ禍でも年中無休24時間営業。鍵を持ち歩かなくてもいいし、うまくいっているとマスターは話す。最初の緊急事態宣言が出たときのみ、時短営業をした。お酒を提供しなくても営業は成り立った。
しかし、早朝に来るスタッフの負担などを考え、24時間営業に戻した。そこから現在まで問題無く営業を続けている。客足はコロナ前とあまり変わらない。老舗の強みだ。
ほかの店は経営が大変だっただろうとマスターは話す。ゴールデン街の飲み屋で、お酒を提供できないとなると営業が難しくなる。
そんな時代でも、この店は飲み歩く人々の駆け込み寺である。朝は挽きたてのコーヒーとピザトーストでモーニング。昼から飲酒をするもよし、蕎麦やカレーで腹を満たすもよし。夜中には締めのラーメンも食べられる。
メニューはマスターが毎日買い出しに行き、決めている。なるべく従業員の負担にならない献立を毎日考え続ける。店を始めた当初は、焼売やフライ、おでんなどマスター自ら作って提供したそうだ。
常連客が離れていかないのは、マスターが店を開け続けているからだ。いつでも行けば店員がいて、お客がいて、会話があり、そこに自分の居場所があるという安心感。
ここには40年近く通う客や、マスターの高校時代の同級生、アルジェリアで働いていた頃の同僚なども訪れる。マスターから常連客に、歯ブラシや石鹸、ギターや掃除機までもプレゼントをすることがある。逆に常連客からマスターへの差し入れもしょっちゅうだ。利害関係よりも人情があふれている店内。
客数自体は少ないが、いつでもお店に協力的な常連客がついている。そして変わらず何があっても来店を続けている。不特定多数が来ない店なのも、このご時世でも安心して来られる理由のようだ。
時代の流れで変わってきたゴールデン街だが・・・
マスターは、お客さんと店の関係を「大きな家族」と例える。そこからはコロナ禍でも変わらぬ両者の絆が垣間見える。
エネルギーあふれるマスターだが、御年69歳である。3年間、毎日17時から朝の5時まで1人で店番をしていた頃に体調を崩した。そして今から約15年前、血管が詰まり倒れたそうだ。そこからは頻繁に発作が起こるようになり、1年くらいは1人で外に行けないほど弱っていたという。
今でも薬を飲み続けなければいけないし、血液をサラサラにする薬なので、怪我をすると血が止まらなくなり非常に危険だという。そんな経験もしているが「息が吸えれば幸せ」だと話す。
そんなマスターだが、未だに休みを1日もとらず、過密スケジュールをこなしているから驚きだ。睡眠を1日3回に分け、早朝5時半には店に来て、お昼には買い出しに向かう。そして、夕方にまた店に行き、補充や掃除を行う。それを台風の日も大雪の日も続けている。
本人にとっては当たり前なのだが、かなり体力を要する仕事だ。体が続く限りは店を続けるつもりだという。従業員も常連客もマスターの健康とそれを望んでいる。マスターあってこそのシャドゥ、珍呑である。
マスターにこれからの話を聞いた。このまま常連客が安心してして通える、暴れる人が来ないような店として続けていきたいと話す。
時代と共にゴールデン街もどんどん変わってきたという。役者や文化人、思想家などの教養が高い人々が集まり、夜な夜な酒と熱い議論を交わしていたかつてのゴールデン街。著名人が店主であり、店それぞれに個性があった。
今は観光地的な要素も加わり、外国人や若者が増えた。特にコロナ前は、ガイドブックに載っていたこともあり、外国人観光客がかなり多く来ていた。今後、規制が解除されたら新しい客層が増えると予想される。
今やゴールデン街は、外国人も若者も気楽に飲める、古き良き風景が残る酒場という認識になり、それぞれの店主はあまり表に出るわけではなく、働いている人や常連客との楽しい会話を求めて客が集まる形になりつつある。
街の雰囲気は確実に変わった。なかには居心地が悪くなって足が遠のいた人や、無くなっていった店もある。しかし、この街はそういった変化を拒否するわけでもなく、ただずっとそこにあり続けている。街と人は、いつの時代も必ず交差して、密接に関わってきた。街があり、店があり、そこを守る人がいて、訪れる人がいて、会話が生まれ、毎日少しづつ変化している。
働く人にとっても、訪れる人にとっても、居場所となり続ける場所が、新宿の片隅にある。
新宿歌舞伎町、ゴールデン街。片隅の小さい店の少し重い扉を開けると、さまざまな人の居場所を守り続けるマスターがいて、この街の生活そのものがあった。