なんの役に立つの? と言われると・・・

ところで、研究はなんのためにしているのでしょうか。単に研究者の知的好奇心を満たすためでしょうか。それとも賞や名誉を得るため

研究者の最高峰というと、やはりノーベル賞を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。毎年11月になると、今年は誰がどんなテーマで受賞するのかとワクワクするものです。日本人が受賞したりするとテレビのニュースでは大騒ぎになります。

でも、その研究内容がどういうもので、どういう点が評価されたのかということが正確に報道されることは少ないですし、皆さんもそこまで興味がないのかもしれません。そんなことより、研究者の人となりや苦労話の方が共感を生みますし、皆さんが一番知りたいのは、その研究がどれだけ私たちの暮らしを豊かにしたか? なんの役に立ったのか? ということなのかもしれません。

その研究は、なんの役に立つのかという質問は、実は研究者を苦しめています。すべての研究が実用的かどうかという意味で、“役に立つ”ことを目指しているわけではないからです。

しかし、予算申請や成果報告の二言目には、なんの役に立つのかと聞かれる風潮があります。もちろん、出資する側からしたら、その予算が社会貢献につながってほしい、役に立ってほしいというのは理解できます。

▲なんの役に立つの? と言われると… イメージ:buritora / PIXTA

なんの役にも立たない研究があるとは思いませんが、今すぐ実用化されるだけが研究の価値ではありません。事実、ノーベル賞のほとんどは、実用化されたことに対する評価ではなく、その基礎となる現象を発見したものや、人々の科学に対する考え方を変えたものに贈られています。

研究者は、今すぐ役に立つわけではなくても、50年後、100年後に大勢の人の役に立つと信じてコツコツと研究を積み重ねています。このような研究のことを、基礎研究と言います。

基礎研究をやっていくには、経済的な意味で基礎体力が必要となりますし、研究をするモチベーションを維持していくのが課題となります。それでも、その研究が必要だとやりがいを感じられる人たちが研究者なのです。

研究は金持ちの道楽と言われていた時代もあったそうです。昔の研究者は、大変な資産家で、お金のために仕事をしなくてもいい階級の人のものでしたし、芸術家同様、パトロン(支援者)を見つけてやっていたという話も聞きます。それくらい、お金と時間がかかる贅沢な営みなのかもしれません。

最初の質問に戻ると、名誉や富を目的にしている人は少なく、研究者自身の好奇心に駆り立てられて、研究活動を続けている人が大半なのではないでしょうか。

研究というのは、個々の現象から普遍的な概念を導くという作業だと私は思います。その結果として、論文が出たり、特許につながったり、受賞するということなのではないかと私は思います。