舞台に立ち役者になることを決意

――トラウデンさんはいつから俳優を志すようになったのですか。

都仁 9歳の頃、ミュージカルの劇団に入りました。きっかけはダンスです。小学校の運動会でダンスをすごく頑張っていたり、学芸会で人前に立つことにもあまり抵抗がなかった僕の姿を見た母親が、劇団のなかのダンススクールに通わせてくれたんです。

中1になったときに父に誘われて、家族全員で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を見た際に衝撃を受けました。“こんな世界があるんだ。あそこに立ちたい”、いや、“自分がいるべき場所はあそこだ”ぐらい強いものを感じました。

最初はダンサーとしてミュージカルに出ていたのですが、ある先生が僕のことを気に入って、すごく力を注いでくださったんです。その年のミュージカルのオーディションで、僕は面白い三枚目キャラをやりたいと思っていたのですが、先生から「主役しか受けさせん」と言われて。有無を言わさず、主役のオーディションを受けたところ、舞台の経験もさほどなく踊ってばかりだったのに、主役に抜擢されたんです。

歌には自信がなかったのですが、先生は声楽の専門でもあったので、少しずつ教わるうちに、どんどん成長して、なんとか主役を演じ切りました。その舞台を劇団の偉い方が見ていて、その後、大学生くらいの方たちと組んで、同じ舞台に主演することになったんです。

周りからの中学生にはなかった責任の重みを感じて、「これは同じようにしていてはいけない」と中学生ながら危機感を抱きました。誰にも言えなかったけど、“13歳だからって負けないぞ。年齢関係なく、誰よりもいい演技をしなきゃ”という気持ちでその舞台を終えて、“自分は役者になる”と決意しました。

▲取材中も終始明るく二枚目ながら三枚目になることもしばしば

――ご両親の反対はなかったんですか?

都仁 うちの両親は、何をやりたいと言っても応援してくれます。“なんでそんな心の持ちようなんだろう”と思うぐらい、好きなことに全力投球させてくれるんです。だから、親の反対があったらと思うと、どうなっていたかわかりません。親が全部、肯定してくれたおかげで今があります。

小学生の頃はいろんな習い事をしました。水泳、書道、油絵、全て快く受けさせてくれました。剣道以外は全部、自分からやりたいと言ったもの。剣道は母方のひいおじいちゃんが剣道をしていたらしく、その縁でやることになったんですけど、全然、合わなくて(苦笑)。

学ぶことはたくさんあったのに、小1の僕には理解できず、高校の授業で剣道があったときに初めて習ったことが役に立ちました。礼儀作法はそこで身についたと思います。

――俳優への思いは中学生の頃から変化しましたか。

都仁 中学から高校で、大きく心境が変わりました。役者としてやらなきゃいけないことに気づいたんです。それが心理学を学ぼうと思ったきっかけです。中2で舞台に立っていたときは自分が楽しくてやっていたことが大きくて、やり甲斐が自分の中だけで完結していたんです。それが中3、高1と成長するにつれ、周りが見えてくるようになると、なんのために演じているのか、考え始めました。

僕が『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を初めて見たときに感じたものを、より多くの人に感じてもらいたい。舞台に立ちたいという思いのほかに、心の中で満たされるものがあって、充実していたんです。あの充実を多くの人に届けたい。そこから見ている人のための演技も心がけるようになりました。

その頃までは芸大を目指して、舞台芸術か声楽を本格的に学ぼうとしていたのですが、心理学に切り替えました。演じる側の心理についてはもちろん、どうしたら観客に充実感を感じてもらいやすいかを知りたかったんです。僕なりにいろいろ考えてみたんですが、登場人物の誰かに自分が共感するところがあれば、自己を投影して、その反映で自分自身のことを理解できると思ったんです。

自分のことを客観視することはとても難しいですが、他者をクッションにすることで、俯瞰で見ることができる。自分への理解をより深めれば、生活していてもプラスになることが多いです。そんなふうに心理学を学んで知識を深めたいと思いました。偶然にも、その頃ハマっていた『ペルソナ』というゲームも、テーマが心理学的だったというのもあります(笑)。

▲自分を客観視することを忘れない

――役者のお仕事に活かせそうですか。

都仁 活かせるところを頑張って探しているところです(笑)。やはり、演じるうえで、人の心を理解しなければならないので、演技に直結することでは感じられることが多いのですが、僕が考えているような、自己投影、心の充実みたいなもののヒントは、2年生になって専門的なことを学べるようになってから、少しずつわかってきているところです。あと2年でどこまで深められるかなという感じです。