トレード成立の裏に落合さんあり
あとから聞いた話ですが、このトレードには、当時、日本ハムに在籍していた落合博満さんが絡んでいたのだそうです。というのも、落合さんが直接教えてくれました。
トレードが決まって、開幕戦の遠征の宿舎で、首脳陣の次は落合さんだよなと、部屋に行って「よろしくお願いします」と挨拶したら、「お、やっと来たか。お前のトレードは俺が決めたんだぞ」と。
そういえば……思い当たることがありました。オープン戦の最後だったか、神宮で日本ハム戦がありました。ヤクルトの選手が打撃練習中、ゲージの後ろで落合さんと野村さんが話しているのを、僕はたまたまチラっと見ていました。
ピッチャーが打たれるのは、捕手のせいばかりでもないからしょうがないにせよ、盗塁は刺せない、ワンバンは止められない、打席では打てないというのでは……落合さんは、日本ハムのキャッチャー陣に不満を持っていたと、そこまで話を聞きました。
移籍した日本ハムでは、念願のレギュラー捕手になりました。当時のパ・リーグは真っ向勝負の時代。セ・リーグだったらツーボールでも変化球を投げるところ、パならまっすぐで勝負が当たり前です。僕が日本ハムに行って、野村さんから教わった打者心理を読んだ配球をやり出してから、だんだんパ・リーグにも伝わっていったような気がします。
配球で制球力が生きた金村と関根、顔で抑えた下柳さん
野村さんに教わった配球のおかげで相手チームを抑えまくったかというと、そううまくいったわけではありません。どんなにいい配球をしようとしても、投手が1球コントロールミスしてど真ん中に投げたら、すべてが無になってしまう。配球とはそういうものなのです。
だから、野村さんは「ピッチャーはしっかりコントロールを磨いて、常日頃から思った通りに投げられる練習をしておきなさい」と言っていましたし、それができていたからヤクルトは強かったのです。
一方、その頃の日本ハムのピッチャーは、いろいろと餌を撒いている途中に、うっかりコントロールミスをして、ガーンと打たれていました。ピッチングコーチには「もう少しコントロールを……お願いします」と何度も言いました。
そのなかで、金村暁はコントロールが良かったため、それまでの殻を破り、防御率のタイトルを獲得するほど大ブレークしました。関根裕之はインコースへのコントロールが抜群だったので、それを生かす配球をすると、毎年数勝レベルだったのが一気に9勝まで急成長しました。
当時はいわゆる“飛ぶボール”の全盛期で、しかも日ハムの本拠地はホームランの出やすい東京ドームでしたから、その2人以外のピッチャーはコントロールの面で抑えるのが正直難しかったです。
でも、下柳剛さんは顔で抑えてましたよね。あの人の“血の気の多さ”は他球団でも有名で、下手なことをするとぶつけられるのではないかと、打者が萎縮していました。東京ドームのダイエー戦で、下柳さんが城島健司の背中にぶつけたことがありました。
そのとき、城島が何か言ったんです。すると、下柳さんが「なんやコラ!」ってマウンドを降りてきた。ダイエーベンチからバーってみんな出てきたんですけど、城島のところなんて誰も行かない。止めようとも守ろうともしない。
ダイエーの若菜嘉晴コーチが下柳さんを抑えて、「すまなかった、俺らの教育不足だ、ごめん許してくれ」ってなだめていました(笑)。下柳さんもダイエーにいたので、みんな知ってるんですね。あれは強烈な出来事でした。
次回は、オールスター出場やビッグバン打線、そして阪神タイガースへの移籍のことなどを語ろうと思います。