マイノリティー芸人の末路

損をして得をとる。これはどこの世界にも通じる金言である。そう、お笑いの世界にも。

芸人たるもの、スベッてはいけない。これは鉄則であり、もちろん誰だってスベりたいなんて思ってないし、スベることを前提でお笑いをする人間などいない。

だが、スベることを甘んじて受け入れないといけない瞬間がある。もちろん才能がないゆえにだ。たぶん、ほとんどの人に関係のない話だが、今回はこの問題について考えていきたい。

わかりやすい例でいうと、吉本芸人がたくさんいる収録だ。多数の吉本芸人のなかに、非・吉本芸人が数人。これは芸人として避けては通れないシチュエーションである。基本的にどんな事務所であろうが、芸人は優しい。吉本の芸人も当然優しい。過去の現場現場で、芸人からわかりやすい意地悪をされたことなどない。

ただ、当たり前だが、その現場にいる全員がこの収録で爪痕を残したいと思っている。1秒でも長く映りたいと思っている。

収録の内容がトーク中心になると、そこにいる大多数のメンバーの知ってる話だと、わかりやすいし笑いが起きやすい。そうなると、自然と吉本芸人の話や、楽屋の話、または劇場での話が多くなる。これは仕方ない。自分が逆の立場でも、そういった話をするだろう。

私たちの想像を超えた苛烈な競争を勝ち抜いてテレビに出ている吉本芸人だ。面白い話にはこと欠かない。つまり、セコいというつもりはなく、現実的な戦略でもある。

私のように、賞レースでなんの結果も残せず、事務所の悪口で世に出てくるという不届き者は、周りの芸人もどう扱っていいのかわからないという悪循環もある。

だからといって、指をくわえて見てるなんてことはしたくない。なんとか爪痕を残したい。残さねばならない。その場にいる少数の非・吉本芸人は、吉本のなかに突入しないといけない。しかし相当な勇気とリスクがいる。

吉本の人たちは優しいから、我々の話をワザとスベらそうとか、そんな気持ちは絶対に持ってないし、むしろ助けてくれようとする。

しかし、その場のマジョリティーの興味、インタレスティング具合、ウケるという安心感、それらを考えた場合、断然、吉本芸人に話を振ったほうが安全だ。プロとしてそう判断するのは当然のことだ。収録時間だって限られている。

だから、気づけば全く喋れていない……。収録中にそう気づくことがザラにある。