ソベート連邦旅行をして考えたこと

私はここで秦と袂をわかち、ポーランドへ帰ることとなった。約一カ月にわたるソベート連邦旅行の記事を終らんとするにあたり、はたしてこの国がソ連邦なりや、ソ同盟なりやの問題について、一言述べておきたいと思う。

私どもは、過去三十数年来USSRを「社会主義ソベート共和国連邦」の意味において「ソ連」と言い慣らわしてきたのであるが、この頃、モスクワのラジオ解説者または日本の極左分子が、なぜか殊更にこの習慣を破って「ソ同盟」と叫んでいる。

もし、中ソ同盟により中共をもいわゆる「ソ同盟」の圏内に入れるのであれば、何をか言わんやであるが、既に「中ソ同盟」と言うごとく、「ソ」が中国以外の存在であるならば、私どもの叫ぶ「ソ連」、彼らのいう「ソ同盟」は大ロシア、小ロシア、白ロシア、ザ・カウカーズその他を含めた、概して旧帝政時代の領土を主体とする国土の名称でなければならない。

それはエターツユニスであり、ユナイテッドステイツであり、デ・フェルアイニヒテン・シュターテンである。エタート、ステイト、シュタート本位に考えれば複数であるが、それらの個々の国は単に一種の内政上の自治を有するに過ぎずして、軍事外交その他重要権力は連邦政府の手中にある。その実相は米の連邦と同一で、それ以外の何ものでもない。

私どもの称える「ソ連邦」も、彼らの強調する「ソ同盟」も、USSRをもって記される。それはロシア語のソユーズ・ソチアリスティーチェスキフ・ソベーツキフ・レスプーブリクの英、仏訳である。

問題はその「ソユーズ」にある。「ソユーズ」はUnion, league, allianceであり、合併、連合、同盟の意義を有するから、この語義からすれば「ソ同盟」と呼んでさしつかえないようであるが、「同盟」は外交的条約に基づくべきものであって、中ソの関係のごときものである。しかるにUSSRは条約に基づかざる一体不可分のものであるから、内容的にみて「同盟」でなく「連邦」とみるべく、また呼ぶべきものである。

極左分子が特に「同盟」と称するは、USSRの自由主義性を示さんとするものか。あるいは同盟の形において「ソ連」以外の中共、ポーランド、チェックなどの国々をも一体とみんとするのであるか。

いずれにせよUSSRに関する限り、それを「ソ連邦」と呼称することを要求する。なお念のため一言するが、ポーランド、ルーマニア、チェック、ブルガリア、外蒙、東ドイツなどが中共のごとくソ連邦以外に立っているか、それともソ連邦の一部としてUSSRに編入されているかどうかについては、現在の私はそれを明確に知らないのであるが、これらはおそらく「ソ同盟」の名の下に、「連邦」的支配を受けているものではあるまいか。

▲ソベート連邦旅行をして考えたこと イメージ:VLADJ55 / PIXTA 

※本記事は、樋口季一郎​:著『〈復刻新版〉陸軍中将 樋口季一郎の回想録』(啓文社:刊)より一部を抜粋編集したものです。