出会いは土壇場を乗り越える力を与えてくれる

坂口はドラフトで指名された当時、プロ野球の厳しい世界でやっていける自信はあったのだろうか。

「甲子園で名前が売れていた選手たちとのレベル差を痛感していましたから、自信はなかったですよ(笑)。高井雄平、森岡良介……みんなすごかったですから。指名してもらったときも、投手でやっていけると思っていませんでした。打つほうで取ってもらったんだから、外野をできないと試合にでられない」

外野手として実績を残さなくてはならない、プロ入りした時点から坂口は土壇場の渦中だった。厳しい世界で生き抜かなければならない彼を支えたのは、巡り合った指導者からの言葉だった。

「プロ入り1年目のとき、2軍打撃コーチをされていた鈴木(貴久)さんの言葉には本当に救われました。本気で三振してもいいって僕に言ってくれた。心がすごく楽になりました。鈴木さんがいたから、僕はプロ野球選手としてやっていけました。もちろん、これまでお世話になった全ての指導者の皆さんから、素敵な言葉をたくさんもらいましたよ」

▲コーチとの出会いも選手にとっては大きいという

人と人との出会いは土壇場を乗り越える力を与えてくれるのだ。坂口は周囲の期待に応えてゴールデングラブ賞4回(2008年-2011年)、最多安打1回(2011年)と華やかな結果を残した。坂口のプロ野球選手としてのターニングポイントはいつだったのだろうか。

「2015年のオフのバファローズ退団が、野球人生においては一番のターニングポイントだと思います。(野球協約の制限を超える大幅な減額は)自分が成績を出せなかったので仕方がなかったです。ただ僕は試合に主力として出たくて。チームも、仲間たちも、僕を応援してくれるファンの皆さんも大好きでした。でも、このまま終わってしまうよりも、僕を必要としてくれるチームで終わりたかった。

だから、迷わずに辞めさせて欲しいってお願いできました。2016年からスワローズに移籍して、まさか東京に住むことになるとは思ってもいませんでした。満員電車には想像以上に驚かされました(笑)。だけど、住めば都って言葉は本当ですね」

自分が主力として試合に出るためならば、住み慣れた関西から、未知の東京へと環境が変わることもいとわない。しかし、坂口の土壇場はスワローズに移籍してからも続く。2018年、慣れ親しんだ外野手から、未経験の一塁手へとコンバートされることになった。外野手として結果を残しているのにも関わらず、だ。

「たしかキャンプの第1クールか第2クールだったかな……。これまでやったことがなかったので、まずは見学からでしたよ。その後はシートノック2~3回で開幕です。

当時、ヘッドコーチだった宮本慎也さんが(一塁手へのコンバートを)提案してくださったので、迷いなくやります!って答えました。あのまま外野だけしかできなかったら、たぶん僕はレギュラーから外されていました。コンバートは僕にとっては幸運でした。だって、それをうまくできれば試合に出場することができますから」

土壇場を幸運と言えてしまうことが坂口の強さなのだろう。後輩たちへのメッセージにも人間性がよく現れていた。

「プロ野球って卒業式があるわけじゃない。世代交代って、あんまり僕は好きじゃないんですよ。どのチームも若手を育てていきますが、簡単にポジションを明け渡さないでほしいです。スワローズなら西田明央選手や西浦直亨選手が奮闘して、チームの若返りに反発してほしいです」

▲スワローズの後輩に話になると自然と言葉に熱がこもった

仲間とお酒飲んでるときに笑い話にできればいい

坂口の人生観をより深く理解するために「過去に戻れるなら戻りたいか?」と尋ねた。

「どこにも戻りたくないです。仮に戻ったところで、うまくやれるかわからないですし。ラオウじゃないけど、これまでの我が生涯に一片の悔いなしです。でも、僕はレイ派ですけど(笑)。

人生は選択の連続ですよね。何を選択しても必ず悔いは残るんですよ。洋服や歯ブラシの色でも、選ばなかったもう片方の選択に後ろ髪をひかれることは永遠に切り離せないんですよ。だから僕は、もう片方の選択肢を選ばなかったことを、後悔とはとらえないようにしています。

僕も悩むことはあります。ただ悩むことがネガティブだとは一切思わない。前に進むために悩んでいることが、ネガティブなはずがないです。悔いることではないです。土壇場でたくさん悩めばいい。人生なんて戻らなくていいんです。いろいろあったけど、全て思い出なんで。仲間とお酒飲んでるときに笑い話にできればいいんです」

坂口がプロ野球という厳しい世界で、生き残ってこれた理由の一端が見えた。最後に今後の展望を聞いた。

「坂口智隆って名前を忘れられないようにしたいので、さまざまなメディアに出たいですね。20年間プロ野球選手としてやってきたことを言葉として発信して、伝えて、残していくことも勉強だと思います。もちろん、何か新しくやりたいことが出てくるかもしれません。自分が挑戦できる選択肢を増やしていきたいですね」

すでに春からプロ野球解説者として多くのメディアに出演している。武士の心と不屈の魂を持った坂口ならば、プロ野球を離れた次の人生でも私たちに希望を与えてくれるだろう。


プロフィール
 
坂口 智隆(さかぐち・ともたか)
1984年7月7日生。兵庫県明石市立望海中から神戸国際大学附属高等学校入学。2002年に近鉄に入団。オリックスを経て2016年にヤクルト移籍。2008年からゴールデングラブ賞4年連続受賞。2011年に最多安打。通算1526安打。2022年現役引退。Twitter:@Tomotaka_42