衰退していたビール市場を盛り返したい

――ビールメーカーではなく、チェーン展開する飲食店に就職されましたよね。

安藤 一般的にビールというのは「炭酸が効いて、苦くて爽快感のある飲み物」だと画一的に思われていました。でも、それだけじゃないんだぞっていうのを、日本中に広めたかったんです。最初は作り手になろうと思って、日本中の小さい醸造所に手当たり次第に「ビール作りたいんです」と連絡をしたんですが、ダメでした。

というのも、当時は1996年に解禁された地ビールブームが衰退したどん底で、小規模醸造所がどんどん廃業していったんです。そんな状況だったので「人なんていらない」と言われてしまったんです。

でも、そこで開き直れたというか、醸造所が雇ってくれないなら、ローカルビールの市場を自分で作ればいいんじゃないかと思ったんです。そうすれば各醸造所の生産量が上がり、スタッフの雇用が生まれるんじゃないかって。

――自分でマーケットを作ろうと。

安藤 そうですね。それでイングリッシュパブを全国展開するチェーン店に入りました。そこで知ったのは、ビールって原価が意外と高いということ。どこのお店も定期的にビール以外のお酒を売り出すキャンペーンをやってるくらいなので、本腰を入れてクラフトビールを扱うわけがなくて……。でも、すごく勉強になりましたね。今こうやってパブを経営できてるのは、原価率も含め店舗マネジメントを学んだことが大きかったと思います。

▲いくつものビールに関わる場所で学んでいった

――しかし、自分のやりたいことはできなかった。

安藤 そうですね。2年ぐらいいたんですが、これからどうしようかと悩んでいたときに、当時は大阪に住んでいたのですが、僕がよく通っていたお店のオーナーから「ビールのことは全部任すから」とオファーがありました。いま動かないと一生後悔すると思って転職しました。

そこは小さいお店だったので、店舗マネジメント業務をすべてやりました。いわゆるバイヤーみたいなこともしましたね。全国各地へ行って、醸造所の方と関係を築いて、関西に入ったことのないようなビールを引っ張ってきて提供したり。それまでBtoCだったんで、BtoBやりだしたのはその店に行ってからです。そのときに気がついたんです。それまでの自分はただのビールマニアで、ビール造りのことは何もわかってなかったんだなって。

ビール会社の立ち上げに参加してビール作りの道へ

――東日本大震災を経験したことから、東北へボランティアに行ったりすることで、人生を考えるようになったとか。

安藤 ビールを作りたいという思いが強くなったんです。そしたら、横浜でビール会社を新しく立ち上げるっていう人がいて、それに誘われました。イチからビールを作るのってめちゃくちゃ面白そうだなと。その立ち上げを2年ほど手伝って軌道に乗せました。イギリスで出会ったソーンブリッジという醸造所の「ジャイプールIPA」に衝撃を受けて、半年間の修行をさせてもらったのもこの頃です。

次に入ったのは、常陸野ネストでしられる木内酒造でした。いわゆるクラフトビールと呼ばれるようなビールメーカーのなかで、やってることがもうぶっちぎりで世界ナンバーワンだと思います。そこでビール作りの基本を改めて学びました。

――そして、2016年に現在のお店を開業された。

安藤 高い品質を維持管理するのは大変です。普通の飲み屋さんでしか働いたことない人は、その意味がわからないと思います。僕は今、都内の2ヶ所でオリジナルのビールを作らせてもらってるんですけど、カスクと呼ばれる樽も全部自分で輸入して、使いたい原材料も全部輸入して作っています。出来上がったビールは自分で全部詰めに行って、すぐに車で持って帰って温度管理をします。お客さんに最高のビールを届けたいですから。

うちの店で使っているサービングタップも、チェコの専門メーカーに僕の理想を伝えて、フルカスタムで作ってもらいました。輸送費がもったいないから自分で持って帰ると言ったら、相手は引いてましたけど(笑)。

▲安藤氏のこだわりが詰まった「HIGHBURY THE HOME OF BEER」