お笑い芸人と俳優、どちらで生きていくか
お笑い芸人と俳優の狭間で、もんもんとしていた期間は2年間と長かったそう。
「劇団イキウメに最初に出演したのが、2007年でした。お笑いの仕事が減っていたなか、客演でお声がけいただき、台本を読ませてもらったら信じられないくらい面白くて。また出たいって思ったのがスタートでした。それから2年後の2009年くらいに芸人の仕事を一切しなくなりました。この2年間は、イキウメの劇団員に対しても、セリフを忘れたり、間違えたりしても “まぁ芸人なんで”なんて、逃げ道を作ってましたね。
その頃の公演のアンケートとかで、なぜか安井順平のことをお客さんや関係者が評価してたよっていうのを、イキウメのプロデューサーから聞いたんですが、信用してなかったんですよ。“また、またぁ”って。でも実際にアンケート読んだらすごい評価してくれてるんですよ、たくさんの人が。 “え、ちょっと自信をもっていいのこれ”って思い始めましたね。
だから、2009年は完全に退路を断つ気持ちでした。それで、シフトチェンジしなくちゃいけないと思って“お笑いの仕事を入れないようにして”って、当時のマネージャーに言ったのは覚えてます。じゃないとお笑いも演劇も中途半端になってしまう気がして」
振り返ってみて、芸人をやめますと、宣言しておけばよかったと感じることはなかったのだろうか?
「最初は何かあったら芸人に戻りたいって、逃げ道を作っていただけだと思うんです。でも、俳優業をやっていくうちに、どっちもやっていくのは無理。何より演劇を真剣にやってる人たちに失礼だと思うようになって、一本に絞ったっていうのがあるんです。
ただ、演劇をやっていても、コントをやることもあるだろうしって、だんだんわかってきてから、あえて芸人をやめたって言う必要もないんだって思えました。表現するっていう意味では一緒ですから。自分でカテゴライズしなくてもいいんじゃないかと。だから、これは逃げではないなって思ったときに、前向きになりましたね」
安井自身は、この2年間のことを土壇場とは語っていない。しかし、お笑い芸人として15年ほどのキャリアを積んできたなかで、俳優との狭間で揺れ動いていた2年間は土壇場であったに違いない。その当時、退路を断つという決断をしたことで、現在につながる道が開いたのだ。
お笑い関係のバイトで食いつなぐ日々
イキウメへの出演をキッカケに、俳優の道を歩むことを決意した安井だったが、お笑いの仕事はもうやらないと決めてから、生活は苦しくなったという。
「それ以前からもお笑いの仕事を頻繁にこなしていたわけじゃなかったけど、お笑いの仕事を一切断ち、微々たる俳優の仕事のみで収入は激減しました。
それでバイトを始めました。そのバイトが、ワタナベコメディスクールの講師で、お笑いの仕事だったんです。生徒のネタをみたりとか。でも、誰かがやっているコントを見れて、お笑いに携わる仕事が少しでもできるんだったら、これで芸人を諦める理由になるかなって思ったんですよ。コントを見れていれば、自分は幸せかもしれないって。臨時講師みたいな感じで、1年半くらいやりましたね。楽しかったです。
生徒は若い人が多いので、“講師の安井順平です”って言っても、僕のことを知らない人がいっぱいいるわけです。もちろん、元アクシャンの人だとか言われることもあるんですけど。その仕事でネタを見て、“例えば、こういうふうにしたらどう?”って、アイディアを提示することになるんですが、それが自分の中で大喜利だと感じたんです。
僕のことを知らない生徒の立場に立つと、知らない先生からお笑いを教えてもらうのって、“なんで、お前から言われなきゃいけないんだ?”って思う人もいると思うんですよ。アンガールズの田中が言うんだったら話を聞くけど、安井順平って知らない人の言うこと聞くのイヤだろうなって、勝手にこっちが思ってるだけなんですけど。
そこで何が一番説得力があるかというと、“例えば、こういう発想もあるよね”っていうときに、その生徒より面白い発想を僕が出すっていうことなんですよ。“自分の想像も及ばない……それ、面白い!”っていう。これを何個出せるかっていうことで生徒が信用してくれると思ったんです。
それから、日々の仕事が大喜利になったんですよ。そうすると、生徒たちが信用してくるんです。ライブが終わったあとに“ここなんですけど……”って相談に来る生徒がいるんですけど、その列が長いっていうのが僕の自慢だったんです。すごくうれしかったですね」
バイトとはいえ、大好きなお笑いに関わる仕事だったので、手を抜くことなく講師の仕事をやっていたという安井。俳優としての活動を本格的にしてからも、お笑いが好きな気持ちには変化はなかった。
「お笑いが好きだという気持ちは死んでないですね。例えば、2016年に小林賢太郎くんが立ち上げた『カジャラ』みたいなコントユニットに出させてもらうこともできたし、役者一本でやっていても、コントができることがあるんだって。
2018年末には、自作のコント公演をやることができたし。そう考えると、俳優業をやりながらも、お笑いに携わることができるんだと思ったら、やっぱり芸人だとか俳優だとか、ジャンルにこだわってたっていうのは、あんまり要らなかったなって今は思いますね」