賞品を売ったお金で切手を購入する日々
――初代チャンピオンになりたいという気持ちでチャレンジしていたのでしょうか?
赤嶺:そうですね。ただ、ランキングの上位になって賞品をもらいたかったのが本当の目的です。優勝したときは、ノートパソコン・デジカメ・iPodをもらいました。
――すごい!(笑) 毎週のようにハガキを送るとなると、お金もかかると思うのですが、どのようにしていたんですか?
赤嶺:ハガキではなく、ハガキ大の紙に書いて十数枚まとめて送る封書投稿なのですが、ランキング上位の賞品を売って、それで得たお金で切手を買うサイクルを繰り返していました。王者になったあとも送り続けていて、10位以内にはちょこちょこランクインしていて、ゲーム機も2台ぐらいもらえたので資金には困りませんでしたね。
――自分が書いたものがジャンプに載ることに対して、当時も感慨深いものがありましたか?
赤嶺:そうですね。でも、より自分の投稿が認められたと実感できたのは、出演者の笑い声を聴けるラジオだったと思います。投稿の常連になると、ラジオネームを読みあげるパーソナリティの声色が変わっていくのがわかって、うれしかったんですよね。
――赤嶺さんがラジオへの投稿を始めたきっかけは?
赤嶺:本屋さんで『ロバート、キングコング、インパルスのガッチャガッチャ本』という、ラジオの書き起こし本を見つけたのがきっかけです。当時はラジオに投稿コーナーがあることも知らなかったのですが、試しに聴いてみたら面白かったんです。それからは、大喜利コーナーがあったインパルスさんのラジオ番組に投稿し始めました。
バカリズムに褒められたのがうれしかった
――NHKの『着信御礼!ケータイ大喜利』でも、レジェンドオオギリーガーに輝いている赤嶺さんですが、ハガキ職人をしていて特にうれしかったことはなんですか?
赤嶺:いろいろありますが、『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』で投稿を褒められたのはうれしかったですね。あの番組は、雑な荒れ方をしたら軌道修正をしてくれるような、大喜利に真摯なところが好きでした。面白い投稿がないと誰も読まれないところが燃えますし、だからこそバカリズムさんが笑ってくれたときがうれしいんですよね。
投稿を採用されて、細かく褒められたことが思い出に残っています。“自分が面白いと思っている人に面白いと思われたい "という気持ちは、投稿していた頃から今でも変わっていません。
『バカリズムのANNG』で読まれた。4通も読まれて驚いた。バカリズムさんが「優秀架空日記者ですよ」「素晴らしいですね、ちゃんとオチもあって」「これ僕凄い好きですね」「今日大活躍でしたね」と言ったのが嬉しく、笑ったのが物凄く嬉しかった。嬉しすぎて、こうして言葉を書き出してしまった。
— 赤嶺総理 (@akaminesouri) May 4, 2013
――投稿をするときの自分なりのルールはありますか?
赤嶺:ケータイ大喜利に投稿していた頃は、固有名詞や下ネタは使わないという基準が身に付いていました。あ、深夜の番組には下ネタ送っていましたよ(笑)。ただ、単語の強さを押し出すのはなく、少し粋な感じというか、品がある下ネタになるように意識していましたね。
――自分自身で会心の出来だと思った投稿はどれですか?
赤嶺:『ONE PIECE』のコミックスにあるイラストコーナー(ウソップギャラリー海賊団)に投稿したネタ系のイラストは、なかなかうまくいったと思っています。ONE PIECEは読者として楽しみに読んでいたので、掲載されたときはうれしかったですね。
――これまでインタビューしたハガキ職人の方に比べて、赤嶺さんは周りと競って投稿するようなタイプではなさそうだなと思いました。
赤嶺:沖縄出身なこともあって、周りと競う感覚がなかったんだと思います。
――え、どういうことですか?
赤嶺:東京や本土であれば、 同じように投稿している人がたくさんいるじゃないですか。沖縄のような離島だと、投稿している人が周りにいないし、いたとしても当時は気づけなかったので、周りと競う感覚がなかったですね。それもあってか、今でも大喜利で人と争っている感じはそこまで強くはありません。
今でも私は、周りと競うことよりも“自分が出したことのない答えを出したい”という思いでやっています。お題の範囲を守ったうえでも「まだこのパターンがある」「まだ遊びどころがある」など、新しいことを見つけていくのが楽しいんです。