浦和が年間王者まであと一歩届かず…
そんなこんなで迎えた2004年シーズン。
エメルソンは、これまで以上に試合中のメンタル面が安定し、退場やシミュレーションが明確になくなり、浦和はセカンドステージを圧倒的な強さで優勝して、チャンピオンシップ出場権を獲得しました。
Jリーグのお荷物、とまで言われた浦和が初の優勝を果たし、年間王者まであと一歩まで近づいたのです。
相手の横浜F・マリノスも、中澤佑二選手や松田直樹選手を中心に強かったけど、浦和にはエメが信頼できる仲間、同じブラジル出身の田中マルクス闘莉王選手や三都主アレサンドロ選手。この年レギュラーを掴んだ当時20歳の長谷部誠選手らが躍動し、必ず勝てると確信できるセカンドステージでした。
しかしファーストレグ。試合巧者のマリノスが、コーナーキックから元浦和の河合竜二選手のヘディングで先制。
そして、この一戦のターニングポイントとなるシーンが訪れます。平川忠亮選手のスルーパスに抜け出したエメルソンが松田を突破、スライディングした松田の足がエメルソンの足に接触します。
このプレーが起こったのはペナルティエリア内。笛が鳴り、審判が迷わずイエローカードをエメルソンに出しました。
このシーン、何度も映像で見てもPKに見えます。少なくとも激しく当たっているので、シミュレーションではない。松田のリアクションも「え? 助かった」という感じでした。
しかし、エメルソンは抗議しませんでした。以前なら激昂して2枚目をもらっていたようなシーンなのですが。
そして0-1で迎えたセカンドレグ。猛攻を仕掛ける浦和は70分。達也からエメルソンの高速カウンターを発動。ペナルティエリアに入る前に、たまらず阻止したマリノスのDFを退場に追いやると、それで得たFKを三都主が直接決めて同点。そして相手は1人退場しており、数的優位。
エメルソンが堪えてくれたからやってきた千載一遇の逆転のチャンスです。しかし120分でゴールを決め切ることはできず、PK戦にて敗退。
浦和初の年間王者の夢は潰えました。
〇【#J30ベストアウォーズ】浦和 1-0(PK2-4) 横浜FM ノミネートマッチ:No.8 2004サントリーチャンピオンシップ 第2戦 2004/12/11
あの2試合を振り返ると、当時の選手もサポーターも決まっていう言葉があります。
「あの年、エメはシミュレーションしてなかったんだけどね。イメージが審判にそうジャッジさせちゃったよね」
なんだか童話のような幕引きでした(……あれ? 別に嘘つきはバチが当たるよ的な話したかったわけじゃないのに、どこでこうなった?)。
そして翌シーズン、中断期間に一時帰国すると、そのままいつまでも来日しなかったエメは、日本に戻ることなくカタールのクラブに移籍。
その後、ずっと年齢を詐称してパスポートも偽造していたことが発覚。まだそんな嘘が出てくるのかよ……(ブラジルの貧困層から抜け出すためには、プロチームのセレクションに受からないといけない。セレクションにはもちろん年齢制限がある。まだ子どものエメルソンが、プロになれるかどうかに家族全員の生活がかかっていたという、日本では考えられない理由があったそうなのですが)。
とんでもないエピソードが退団後もどんどんあふれてくるのですが、僕は浦和にいたときもカタールに行ったときも、今もエメルソンが変わらず好きなので、サッカー選手なんて嘘つきなのもご愛嬌、そういう価値観なんだと思います。
まあ僕もピッチ上やお笑いの現場では嘘つきますしね。勝ち負けに命かかっている世界ですから。