スタイルの違う戦いの中で
こうした流れで、全日本VSジャパンは天龍と長州の抗争が核になった。全日本VSジャパン開戦となった85年1月シリーズは、2〜4日の後楽園ホール3連戦で開幕。天龍と長州は2日大会と3日大会はタッグマッチ、4日大会が6人タッグマッチで3日連続対戦した。
鶴田はその4日大会で、鶴田&天龍&ザ・グレート・カブキVS長州&キラー・カーン&浜口という形でようやく初激突するのである。試合では、鶴田がフロント・スープレックスで投げれば、長州はサソリ固めの体勢に入るというスリリングな攻防が見られたが、ふたりが肌を合わせたのは3回だけだった。
鶴田のクールな発言を意識してか、長州も「なんて言うのかな、俺や天龍とは人間のタイプが違うのかな……燃えているんだろうけど、天龍ほど感じるものがないね。やっぱり自分の気持ちは鶴田よりも天龍に向いている」と、ターゲットを天龍に定める発言。やはり対抗戦は天龍VS長州が主軸になっていった。
「彼らにつくづく感じたのは理屈に合わない、基本に忠実でない、セオリーにない面白さということだった。私たちが力道山に教えられ、アメリカで覚えさせられたセオリーを、彼らはまったく無視して自分たちが好き勝手にやっているプロレスだが、それがかえってファンに受けていた。でも日本では人気が出ても、世界には通用しない。一流選手はやはりセオリーを踏み外さないものだ」というのが馬場のジャパン選手評である。
全日本VSジャパン対抗戦の面白さはスタイルが違うがゆえの緊張感、そして試合がスイングしないギクシャク感にあった。全日本担当記者だった私は、全日本の選手から「あいつらはプロレスを知らない」と聞かされ、ジャパンの選手からは「あんなチンタラしたプロレスに付き合ってられない」という言葉を聞かされたものである。
「やりにくかったよ。彼らは一切、こっちの技を受けないって感じだったから。それに試合に間がない。だからバタバタだった。“じゃあ、こっちも受けなくてもいいだろう!”って、試合がガチガチしていたけど、でも逆に受けているほうが強く見えるんだよね。3人掛かりでボコボコにやられたって、全日本の選手はギブアップしないんだから。そこまでやってもジャパンの連中が攻め切れないなら、“最終的には全日本のほうが強い!”ってことになるからさ」と語るのはカブキだ。
渕正信も「あの時は彼らも張り切って来たし、全日本に融合しないで自分たちのスタイルをそのままやりたいという気持ちがあったと思うんだよ。間を取ってやるっていう試合スタイルじゃないし、試合時間も短いし、最初は戸惑ったけど、向こうのペースで試合をやってもこっちは対応できるっていうものが生まれたんだよね。だから、やらせるだけやらせてやろうと。それでお客さんがワーワー来たから」と言う。