1895年にパリのカフェで生まれた映画
20世紀は映画の時代だった。19世紀のオペラや演劇に、総合芸術としての地位に取って代わったのみならず、はるかに広汎な大衆を引きつけた。戦後はテレビの時代だが、基本的には映画の延長線上にある。そして、21世紀はネットの普及も相まって、誰もが映像を提供できる時代になった。
フランスのリュミエール兄弟は、1895年12月28日にカフェに置かれたスクリーンで「シネマトグラフ」を上映した。それまでに、覗き箱のなかで動画を見せる「キネマトスコープ」はあったが、このリュミエール兄弟の試みをもって映画の誕生というのが普通だ。
それをアメリカで聞いた商才たくましいトーマス・エジソンも、翌年に映画を製作し興行化していった。20世紀に入ると、ドキュメンタリー映画の走りである『マッキンリー大統領の就任式』(1897年/アメリカ)、世界初のSF&SFX映画である『月世界旅行』(1902年/フランス)が公開された。
フランスのサイレント映画『ギーズ公の暗殺』(1908年)のために、大作曲家のカミーユ・サン=サーンスが音楽を書いたのが、映画音楽の始まりとされる。
アメリカでの映画製作は、第一次世界大戦でヨーロッパの映画製作やアメリカへの輸出が止まったことから盛んになった。
古代バビロンを舞台にした『イントレランス』(1916年/アメリカ)という映画を製作するために、晴天が多いハリウッドが映画製作の舞台となった。『月世界旅行』は初めてストーリーを持ったSF映画であった。
そして歴史的価値を別として、今日でも名作といわれる映画は1920年代から登場する。
ソ連では映画が思想教育の手段としても評価され、黒海のオデッサ港の階段の場面で知られる、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年/ソ連)がつくられた。
ドイツのフリッツ・ラングによるSF映画『メトロポリス』(1927年)は、未来に対し警告を発するという近未来SFの先駆的な存在。「トリプル・エクラン3面スクリーン方式」〔スクリーンを三つ横につなげての上映〕と12時間という上演時間の『ナポレオン』(1927年/フランス)は、アベル・ガンス監督の作品で史上最大のスケールを持った映画である。
『裁かるゝジャンヌ』(1927年)は、ジャンヌ・ダルクの裁判と火刑をテーマに、顔の表情のクローズアップを多用することで、絶望の淵に立つジャンヌの心を映した感動の名作。デンマーク人のカール・ドライヤーが監督。
このころ絶大な人気を博したのが、イケメン俳優ルドルフ・ヴァレンティノで、映画スター第1号といっていいだろう。
※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。