日本女子バレーが優勝した第18回東京大会

1959年のIOC総会で、1964年の第18回大会の東京開催が決まった。デトロイト、ウィーンなどを退けてのものだった。このときの外交官・平沢和重(ひらさわかずしげ)の招致演説は見事なものとして記憶されている。

第16回 メルボルン(オーストラリア/1956年)……南半球であるために11月から12月にかけての開催となった。ハンガリー動乱の直後なので水球のハンガリー、ソ連戦は流血の騒ぎになった。地元のマレー・ローズが競泳で3つの金メダルを取った。中国はヘルシンキには参加したが、台湾の参加に抗議してボイコットし、このあと1984年になるまで参加しなかった。

第17回 ローマ(イタリア/1960年)……マラソンで裸足で走ったエチオピアのアベベ・ビキラ選手が優勝した。ボクシングのライト・ヘビー級では、アメリカのカシアス・クレイが優勝した。のちのモハメド・アリである。

ヨットでギリシャのコンスタンティノス皇太子が金メダルを取った。自転車競技で興奮剤を飲んだ選手が死んでドーピング問題への関心が高まった。ソ連が最多の金メダルを獲得した。日本は体操での男子団体、小野喬(おのたかし)の鉄棒での2連覇など4個の金メダルにとどまった。

第18回 東京(日本/1964年)……マラソンではアベベが2連覇した。初めて行われた柔道無差別級ではオランダのアントン・ヘーシンクが優勝した。体操の個人総合ではチェコスロバキアのベラ・チャスラフスカが金メダルを取った。陸上100mでは、ボブ・ヘイズが期待された10秒の壁は破れなかったが優勝。

▲1964年東京オリンピック記念硬貨 イメージ:PIXTA

体操では遠藤幸雄(えんどうゆきお)が個人総合で念願の金メダルを取った。大松博文(だいまつひろぶみ)監督に率いられた日本の女子バレーの優勝も大きな話題となった。レスリングで5個の金メダルを獲得した。柔道は重量級で猪熊功(いのくまいさお)など3個の金メダル。重量挙げでも三宅義信(みやけよしのぶ)が優勝した。水泳は極度の不振で最終日のリレーでの銅メダルだけにとどまり、失望が大きかった。

第19回 メキシコシティ(メキシコ/1968年)……高地での影響が注目されたが、アメリカのボブ・ビーモン選手が桁違いの世界新記録で話題になった。走り高跳びのディック・フォスベリーが背面跳びで金メダルを獲得した。

近代五種に出場したスウェーデン選手がドーピング検査違反者第1号となった。日本選手団では体操団体で3連覇した。釜本邦茂(かまもとくにしげ)らのサッカーが銅メダルを取って話題になった。女子体操のベラ・チャスラフスカが2連覇した。

※本記事は、八幡和郎:著『365日でわかる世界史』(清談社Publico:刊)より一部を抜粋編集したものです。