「楽をしたい」と憧れることへの違和感

僕はあまりデジタルの世界のことは詳しくありません。

だから、ニュースなどで「子供たちの憧れの職業はユーチューバー」なんていう話題を聞いても「そうか、いまはスポーツ選手ではないのか」と思うぐらいでした。

ところが、なぜユーチューバーに憧れるのか、その理由は聞き流せませんでした。

楽して有名になれて、お金も稼げるから。

子供の口から出たその言葉を聞いて驚き、少し残念に思いましたね。

「有名」や「お金」はまだいいです。子供らしいストレートな感覚だと思いますから。ですが、なぜ子供たちが「楽をする」ことに憧れを抱くのだろう……そこには違和感がありました。

もちろん、ほかのすべてのことと同じように、子供に罪はありません。子供がやることは、大人たちの投影でしかないからです。そうした子供の価値観は、知らず知らずのうちに大人が植え付けているものなのです。

僕らが子供のころはプロ野球選手と決まっていました。日差しを避けるためのキャップは、それぞれ自分が応援するプロ野球チームの野球帽が当たり前でした。

もう少し下の世代になると、今度はJリーガーを目指す子が増えてきます。スポーツだけでなく、音楽や勉強や読書に没頭する子もいましたし、みんなが夢を見ていたように思います。

たとえば夢中になって読んだマンガでも「努力すれば夢は叶う」ことを教えてくれるものが多かったですよね。

プロ野球選手は、たしかに有名でお金も稼いでいたのでしょう。無意識にそういうことにも憧れが向いていたかもしれませんが、あの時代の子供たちが「有名・お金」のためにプロ野球選手を夢見たとは思えません。

「楽して」ではなく「好きなことをして」という意味はあったと思います。少なくとも、努力をしないことを肯定的にとらえることはなかったでしょう。

楽に見える仕事でも努力は必要と教えるべき

先にも書いたとおり、子供たちが「楽して有名になれてお金も稼げる」ということを目指したいと思うのであれば、それは間違いなく世の中の大人たちの価値観がそうなっていることを意味しています。

地道な努力を重視しない。その過程で成長していくことの価値を認めない。

そんな地味を笑う風潮が「楽して儲ける」のを理想とする心の貧しさを生み出しているのだと思います。

僕は、それが少し残念なのですが、そんな感覚は時代遅れなのでしょうか。

▲楽に見える仕事でも努力は必要と教えるべき イメージ:PIXTA

ところで、僕は子供たちが言うほど人気ユーチューバーが楽な仕事だとは思いません。多くの人に見てもらい、楽しんでもらうためには、相当な努力をしているはずだからです。

お笑い芸人でもミュージシャンでも、その道のプロとして「派手」な活躍をしている人たちに限って、見えないところで努力と準備を怠らずにやっているはずです。それもやはりどの世界でも同じだと思うのです。