妻は泣きながら「引退してくれ」と言った
――「もうすぐリングで死ぬ」と……。
松永 このことを妻に話したら、もう泣きながら「プロレスを引退してくれ」と。さすがに私も引退の二文字を意識しはじめるようになってきたんですが、ちょうど、そのとき私が企画した『ガラスレイン鉄球地獄デスマッチ』〔試合開始から8分が経過すると、天井に設置されたガラスボードが炎で包まれた鉄球で破壊され、ガラスの破片がリングに降り注いでくる……という危険極まりないルール〕が決まっていたんですけど「その前売り券が売れていない」という話になって、チケットの販売促進のために記者会見を開いてくれないか、という打診があった。「じゃあ、もう辞めてしまおう」と、その会見で『デスマッチ最終戦』と書いた色紙に血判っていうんですかね、血で手形を押したものをメディアに公開したんです。
――お客さんを呼ぶための松永さんなりの決意表明ですよね。松永さんが「デスマッチを辞める」となったら、それはもう実質的な引退宣言になりますから。
松永 そうですね。この会見のあと、チケットはあっという間に売り切れました。実際の引退試合はそれから1年半後の齋藤彰俊〔プロレスリング・ノア所属。松永の高校生時代の同級生〕との一騎打ちになるんですけど、まぁ、あれはケジメをつけるための試合だったので、私としては2008年5月17日のデスマッチ最終戦でプロレスラーとしては終わっているんですよね。
――まさかスピリチュアルカウンセラーの言葉が引退の引き金になっていたとは……ただ、今回の本を読んでいただければわかりますけど、ステーキ店の仕事は本当に過酷で、プロレスラーとの二足の草鞋はもう厳しかったのかもしれませんね。実際、この本の中にも引退後の闘病の話も出てきます。
松永 私は54歳になるんですけど、体調に関しては不安しかないですね。よくニュースなどで「後期高齢者問題」が話題になりますけど、54歳というのは、もう「前期高齢者」なんじゃないか、と。
――一応、65歳から74歳が「前期高齢者」という扱いになるみたいですけどね。
松永 もう、それぐらいのキツさは感じてます。だから、コロナの影響で店の営業時間を短くしても、経営的にはほとんど影響がないとわかったことは大きかったです。自分の体力に合わせて、店の在り方も変えていけばいいのか、と。コロナ騒動から学べることもけっこう多いんですよ。
次回は、コンバット豊田さんとの秘話とプロレスファンへのメッセージ。
■ステーキハウス『ミスターデンジャー』
立花本店
住所:東京都墨田区立花3-2-12 田中ビル1F
TEL:03-3614-8929
営業時間:PM5:00~PM10:00(ラストオーダーPM9:30)
定休日:水曜日
※暫くの間、営業時間が変動いたします。詳しくはホームページ(https://www.mrdanger.jp/)をご覧下さい。