本の印税で『たけし日本語学校』を建てました
そのあと、ビートたけしさんが司会のTV番組『ここがヘンだよ日本人』への出演の話が舞い込み、1999年には『ゾマホンのほん』、続く2000年に『ゾマホン、大いに泣く-みなさま心よりありがとう』と2冊の本を出版(河出書房新社)。これらは大ベストセラーとなり、その名を日本中に知られることになった。
普通の人なら天狗になりそうな、ミラクルに満ちたサクセスストーリーだが、たくさん入った印税も自分のために使うことは一切なかったという。
「印税で私は『たけし日本語学校』を、2番目に『江戸小学校』、3番目に『明治小学校』と小学校を作りました。最初の学校は2003年設立し今年で17年目です。学校の名前は、全て日本の名称をつけたんですよ。なぜかというと、その学校に通っている生徒たちが、大きくなったら『なぜたけしですか?』『なぜ明治ですか?』『なぜ江戸ですか?』と聞くから。ちゃんと日本の歴史や日本の文化を味わせたかった。いろんな子どもたちが義務教育を受けれるよう、貧しいところに学校を作ったの」
母国の就学率を高めるために小学校を作り、54カ国あるアフリカで、どこに行っても日本語の勉強ができなかった壁を壊すために、日本語学校を設立。教師たちは全員日本人という徹底ぶりで、今はベナンだけでなく、コンゴ・ガーナ・ナイジェリアからも生徒がやって来るという。
しかしお気づきの通り、設立当時これらの名称は、ベナンでは前代未聞で、学校名を変更するよう国会議員に呼ばれたという。
「ベナンはフランスの植民地だったので『なんでフランスの名前、ジャックやジャン、ジョンとかつけないのか。日本のたけしは関係ない』と言われて。でもそこで『関係あります。私はアジアで数十年間、特に日本に長く住んでいて、日本のおかげで、本を出せたり、印税がじゃんじゃん入ってですね』と説明したの。それで、俺に負けて、国会議員の先生から『OK』とハンコをもらった。なぜ『たけし』かというと、たけしさんのおかげで、私はテレビに出るようになったから。俺の気持ちを表すために」
そのようにして生まれた学校から、ゾマホンさんの思いを脈々と受け継いだ若者たちが、現在約80名ほど留学生として日本へ来ているという。この数字は、ベナン人として初めて日本の大学に入学したゾマホンさんが門戸を開いた、情熱の塊だ。
「ベナンには、石油とかダイヤモンドとか資源がいっぱいあるのに、地下資源を加工する技術がないか、レベルが低いのが問題。日本と文化交流することによって、国を発展させたかった。だから農業学や医学、工学部系を学びたい生徒たちが、東京大学・北海道大学・熊本大学など日本各地の大学に留学しているんです。『たけし日本語学校』の元生徒たちがあちこちにいるんです」