アメリカやヨーロッパと逆の道を選んだ日銀
リーマン・ショック後、アメリカやヨーロッパ各国は、おカネを継続的にどんどん刷る量的緩和政策や、ゼロ金利政策などのインフレ政策を打ち出していきました。
アメリカの中央銀行にあたるFRBはドル資金を大増刷し、2011年6月までにベースマネー〔中央銀行の資金供給量。マネタリーベースとも〕をリーマン・ショック前の3倍以上に増やしています。主要国の中央銀行も、このFRBの動きに追随してベースマネーを増やし、デフレ不況に陥るのを免れました。
しかし、この時、日銀だけはFEBに同調せず、ベースマネーを増やしませんでした。当時の日銀総裁は「量的緩和」という言葉すら忌み嫌っていた白川方明氏です。白川総裁は「金融政策ではデフレを解決できない」という独自の理論に固執していました。
私は当時、産経新聞朝刊1面で「日銀よ、どこに行った?」という見出しの記事を書き「主要国がカネを刷るなかで、日銀だけがカネを刷らないと、とんでもない災厄が日本経済に降り注ぐぞ」と警告しました。
しかし、その後も白川総裁は動きませんでした。驚くべきことに、2011年3月11日に東日本大震災が発生するまで、まったくと言っていいほど日銀はおカネを刷らなかったのです。しかも、大震災時の緩和はほんの一瞬であり、2カ月後に引き締め気味の政策に回帰しました。
その結果として起きたのが、記録的な超円高です。東日本大震災という未曾有の災害に見舞われながらも円高傾向が止まらず、同年10月31日には1ドル75円32銭の戦後最高値を記録。この超円高によって輸出産業が大打撃を受け、デフレ不況に見舞われました。
日銀が必要な時に必要なカネを刷らなかったばかりに、日本はリーマン・ショックの“本家”であるアメリカや、リーマン・ショックととともに不動産バブルが崩壊したヨーロッパよりも、はるかに激しく景気が落ち込んでしまったのです。