中国全土に工作員を送りこんだケズウィック

SOEとは、枢軸国に占領された国々での諜報、機動的な小規模の攻撃部隊を使った破壊工作、現地の抵抗運動やゲリラ戦の支援を行うために、1940年7月に設置された組織です。

しかも、合意文書によるとイギリス側は「中国特殊部隊」のために、中国人を雇うことができました。つまり、イギリスは中国共産党員を雇うのも自由ですし、雇われた中国人はイギリスの指揮に従うことになるわけです。

中国側はこのことに気づかなかったのですが、いざ日英が開戦すると、ロンドンからSOEのスタッフが重慶に乗り込んできて、資源も中国特殊部隊の指揮権も中国軍の統制から引き離し、自ら掌握してしまいました。中国側が抗議しても、イギリス側は協定通りにやっているだけだと言って門前払いにしました。

このSOEスタッフは、香港と上海に本拠を置くジャーディン・マセソンの経営者で、宋子文や蔣介石夫人の親友のジョン・ケズウィックという人物でした。

▲ジャーディン・マセソン商会ビル 出典:Livelikerw(ウィキメディア・コモンズ)

ケズウィックは、国民政府の許可を得ることなく中国全土に工作員を送り込み、あちこちに秘密無線基地を作りました。イギリスのこうした行動は、アメリカとは感覚が違っています。

しかも、ケズウィックはこともあろうに中国共産党に積極的に接近し、香港陥落前にイギリス情報機関が新界に作っていた秘密組織の作戦とメンバーも、中国特殊部隊に組み込んだのです。新界とは、中国共産党のゲリラ部隊が盛んに抗日活動を行いつつ、本拠地・延安への密輸ルートを管理していた場所です。

こうした事件がいくつも重なった結果、1942年4月、蔣介石はイギリスに対して中国特殊部隊の即時撤退を要求し、ケズウィックらを中国から追い出しました。

※本記事は、山内智恵子:著、江崎道朗:監修『インテリジェンスで読む日中戦争 -The Second Sino-Japanese War from the Perspective of Intelligence-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。