オペレッタの稽古を見物に行くことにした
この新聞記者は相当反撃もしたが、それから先は水掛論以外の何ものでもないのであり、離婚数こそが結婚形式の良否を識別する唯一の科学である、ということに議論は終った。
その後、数日にしてソコロフスカ夫人のオペレット一座のマネージャー某が私を訪れ、「私の座でオペレット・ゲイシを何々座で打つから援助を願いたい」というわけである。
それを私が援助すべき理由がどこにあるか。いったいそのテーマは何を意味するかと尋ねたところ、それは日本の軍人と芸者との恋愛に関する小劇であり、音楽をたくさん織り込んだ立派なもので、最近パリで大変受けたものだというのである。
なお彼の語るところによれば、この芸者、この軍人がともに死ぬまで愛し愛されているにもかかわらず、結婚し得ないことに憤りを感ずるような内容のものだというのであった。
それで判った。
某新聞の某記者の数日前の私との結婚制度についてのインターヴュは、それに関する基礎知識を得んとしたものであったのである。この劇場の始まる直前、「日本の結婚」と題する私と記者との談話が載っていたのであり、明らかにそれはオペレット「ゲイシ」の宣伝記事であったであろう。ゲイシとはゲイシャの複数であった。
この頃、アメリカなどでは「マダム・バタフライ」にしても、日本の服装、日本人の動作に関する研究が積まれ、あまり馬鹿らしいことをしないようだが、欧州となれば日本及び日本人に関する認識は未だ幼稚であり、芸者、富士山以外に知識のない輩が無数におり、「蝶々夫人」にしても、我々日本人からすれば実に不愉快な動作が演ぜられる。
そこで私は日本軍人、芸者の出るこのオペレッタの稽古を初日前夜見物して、不思議の点、不可なる点、不快なる点を日本人たる立場において修正したのであった。
座頭なるポーランド近代の代表美人と称された、齡四十ぐらいのソコロフスカは、彼女の愛弟子といわれる若いアルチストカ数名とともに私の前に現われ、感謝の意を述べ、そのお礼のため、本夕オアザ(オアシス)で一席設けたいというのであった。私の食指は自ら動いた。
ところが、私の忠実なる秘書ミンケウィチが即座に話を引きとって「本夕、少佐は他に招待されているから一応辞退せねばならぬでしょう」といい、私ども二人は帰宅したのであった。
私の宅で紅茶を飲みつつミンケウィチが私にいう。
「少佐殿、危いところでしたよ。あなたはソ夫人の招待を受けて彼女に料理屋の支払いをさせるつもりでしたか。紳士がさようなことをしてよろしいのでしょうか。あなたが支払いをしたとする。必ず彼女は帰途、私の宅へお寄りください、せめてお茶でも差し上げたいと申し出るでしょう。あなたはまた、それに応ずるでしょう。
こんどは彼女の若い弟子をあなたに紹介し、あなたの好もしいと思われる女をあなたのアミたらしむべく働きかけるでしょう。それが彼女らの手です。それで多くの男子が身動きのならぬ立場に置かれるのです。
本日見た日本の芸者のような真摯な、可憐な女はポーランドいやヨーロッパの女優にはいないのです。西洋のアルチストカの中に絶対にトスカはいないとは申しませんが、この節ではまずないと考えるべきであり、彼女らは“女郎”よりも厄介な存在です」と説明するのであった。
誠に説得力のある忠告であった。
私はかかる危機に直面して、内地より家内を招致すべく決心したのであった。私のウンゲラーテナーゾーン(放蕩息子的な)の生活は、ここで終止符が打たれたのであった。
※本記事は、樋口季一郎:著『〈復刻新版〉陸軍中将 樋口季一郎の回想録』(啓文社:刊)より一部を抜粋編集したものです。