こんなことが毎日続くと思ったら逃げ出したくなる
「自己紹介をしなさい」
「安藤レイジです…周りにはアンドレと呼ばれています。よろしくお願いします!」
自分のニックネームなんて言う必要ないけれど、その時は無意識のうちに出てしまった。まずい!と思った次の瞬間、みんながいっせいに爆笑し始めた。
「ワハハハハッ! アンドウレイジでアンドレかあ。キミ、自分のことがよくわかってんじゃん。これは傑作だわ」
先輩の一人がそう言って本当にお腹を抱えていた。タスケさんも、さらには運命さんまで昨日のリング上における姿からは想像し難い笑みで、表情を崩しているではないか。
このひとことで、みんなが受け入れてくれたようだった。それはよかったけれど、いざ練習に入るとリング設営の何倍も厳しかった。
脚の屈伸運動を全員で順々に声を出して数えながらやるのだが、ぼくは400回で動けなくなってしまった。みんなは1000回を軽々とこなす。
腕立て伏せや腹筋も何十回と繰り返し、首を鍛えるためにブリッジも。どれも先輩たちの半分程度しかできない。「まあ、最初は無理しない範囲でやればいいから」とタスケさんは言うが、同じようにシンドい思いをしながら歯を食いしばって続ける若手の皆さんの顔には「こいつばかり甘やかされやがって…」と書かれている。
さらに「これが一番大切だからな。早く覚えるんだぞ」と運命さんに言われて、受け身をやらされた。自分自身はよくわからないが、後ろに倒れたり前転したりして見せると「ほう、筋はいいじゃないか」と誉められた。
考えてみれば、辛くなるほどにみっちりと運動をしたのは生まれて初めてだった。プロレスは、特殊な練習を積まなければリングに上がれないようだ。吐きそうになるほどの苦しさは逆に新鮮だけど、こんなことが毎日続くと思ったら巡業初日で逃げ出したくなった。
ぼくはプロレスラーになりたくて来たわけではない。いよいよもって体が動かなくなったらそこで「もうできませんので、やめます」と言えばいいんだ。
巡業初日の練習は終了。そこからさらに新入りは、先輩レスラーの雑用をこなさなければならなかった。
「アンドレ、コーラ買ってこい」
「アンドレ、テーピングするから手伝え」
「おい、そこのアンドレ…用があったら呼ぶから待ってろ」
最初の“つかみ”が功を奏し、誰もがアンドレと呼ぶようになっていた。一番下だからなのか、それとも単に呼びやすいからか、ぼくがもっとも声をかけられる。
そのたびに大きな体を揺らし走っていくと、先輩たちは「おー、その動き、まさにアンドレだな」と嬉しそうに言うんだ。ぼくにはどの動きを指しているのかが、わからない。
「アンドレ、おまえ運転はできるのか? できるんだったら宣伝カーまわしてこい」
バンで一緒だった宇佐川さんに言われたが、小学生で運転免許など持っているはずがない。ぼくはすいませんと頭を下げた。本心をいえば、車へ乗っている間に町の写真をたくさん撮りたかったのに…。
雑用は、やってもやっても終わらない。それに追われているうち、日が暮れて体育館の前には一人、また一人とお客さんが集まってくる。
楢葉よりもさらに小さなこの町は、来る時もバスから人っこ一人見かけなかった。なのに少しずつ、泉が湧くかのように増えていく。それが本当に不思議だった。