ワルソー旧市街に住むユダヤ人
私どもは、「旧ワルソー」と称するワルソーの二、三百年前を思い出させるような町に赴いた。
街路も狭く、四、五階の建築物も各層はなはだ天井が低いのである。およそ現代的でなく、採光、通風の点からいっても非常に不衛生的である。この不衛生な古びた建築物のなかに、またおびただしい人々が住んでいるのである。いわばワルソーの貧民窟であり、その多くがユダヤ人である。
ワルソーにはユダヤ人が少なくも二十万は住んでいた。そして、そのほとんど大部分がこの旧市街に住んでいる。
ポーランドのユダヤ人の多くは、きわめて保守的なユダヤ教を盲信する人々であって、シナゴーグ(ユダヤ寺院)がところどころに建てられ、彼らは唯メッシア(大賢聖)の再興を祈るのである。
彼らの大人は、たいてい黒い低いトルコ風の帽子を被っており、また常時フロックコートを纏っている。
それは宗教民族たるの象徴でもあろう。
そうかと思うと進歩的ユダヤ人も多少はいる。ウィルチャ街十番地に某なるユダヤ人がおり、既にキリスト教に改宗しており、クリスマス・パスハ(復活祭)を祝うのである。
このユダヤ人の家に、日本の有名人が二人下宿したことがある。その第一の人はポーランド復興直後、ポーランドへ入った米内海軍中佐(後の大将、首相)であり、その第二は私の在ポ当時、暗号研究のため留学していた百武少佐(後の中将)である。ご両人いずれも現在故人となっている。
旧市街プラス(広場)にフッケルと称する酒屋がある。その店は二百年の歴史を有するミョード(密酒)の本舗である。そこでは百年以上もたった、いともなれた何とも言えない優しいリキュール様の風味の酒を味わいえる。今でも、そこの穴倉には百年以上も経った樽が幾十個も横たわっている。
この穴倉に一つの由来がある。それは、これが昔、罪人を収容した獄室であったということである。
フッケル家の先祖が、二百年前の「開化」時代、政府または市からこの穴倉を買い求め、酒倉に改造したというのであった。
この旧ワルソーと日本公使館の中間のコペルニクス街に、科学者コペルニクスの銅像がある。彼は、地球自動説の主唱者であり、ポーランド人の誇りとする一人である。このような関係で、現代もワルソーの天文学は相当なものだと言われている。
そこの天文台長カーメンスキー博士は、革命時ペトログラードから日本へ亡命した人であり、大の日本愛好者であった。彼の夫人は私どもがポーランドを去った直後、他界されたと伝えられた。
「ロメオとジュリエット」の観劇中に起きた事件
ポーランドで世界的の人物といえば、このほかにシンケウィチ博士がある。彼の傑作『クォ・ヴァデス』は日本語にも翻訳されており、米国でも映画化されている。
私どもは、ややもすると旧亡国としてかの民族を軽視するが、それは間違っている。日本も今日、近代強国たる米ソのあいだに挟まれて苦悩したあげく、この半亡国の状態に陥ったのであり、もしわが祖国が、ロシア・ドイツ・オーストリアというような強国のあいだに位したとするならば、今までのような歴史を保存しえたかどうか疑問であろう。一国ないし一民族を品評せんとすれば、現在の状態のみをもって判定すべきではないであろう。
ポーランド政府は一夕、両殿下をワルソー・オペラにご招待申し上げた。出し物は「ロメオとジュリエット」であったかと思う。
両殿下は最大の客人として、舞台右側の二階の貴賓席の一クッペに席が設けられていた。観客はオペラグラスをもって、一心に我々の席に視線を投げている。何幕目かである。今までホテルで一人チビリチビリと飲んでいたはずの殿下の忠実なる御附の金武官が、我々の期待に反して突如として、この席に現われたのである。
それは何も不思議でもない、当然の彼の義務でもあった。ところがさにあらず、金武官は昔ともに歩一に勤務したこともあり、きわめて善良なる軍人であることは知っているが、その最大の欠点は、彼があまりにも大なるアルコーリストであったことである。
この日も自室でチビリチビリやっていた。両殿下は「彼にはオペラの興味はあるまい。一人でのんきに楽しましておくがよい」というわけで、彼をホテルに残してここに臨まれたのであった。あとで金武官は気がついた。
一瞬ビックリしたことと思われる。これは大変だ、早くオペラへ行かねばならぬと考えた。フロックに着換えた。オペラハットを片手に持ち、誰かに(たぶんホテルのボーイか)案内されてこの観覧席に姿を見せたのである。それは大いによろしい。だが当然つけるべき白の蝶型ネクタイもつけず「ノーネクタイ」である。私はびっくりした。彼も彼だが、大ホテルのボーイも気が付かなかったのであろうか。
私はさっそく、彼の外套の襟を立てしめ、私自ら案内してホテルに帰り「中佐殿、オペラ見物は止めましょう。二人でゆっくり飲みましょう」というわけで、大いに飲み、大いに酔った。
私は彼をベッドの中へ押し込んで、私の室へ帰ったようである。私がこのオペラの「テーマ」を知らないことに抗議する人があり得るであろうか。また、両殿下はこの辺の事情をお知りになっていられるであろうか。