お代は「一本」
そのあいだに、若旦那は銭一本を懐紙に包み、煙草盆の上にのせた。
別れ際、女が言う。
「このごろに、ご縁もあらば、来ておくんなせいし」
「あい、このころに参りやしょう」
若旦那は手ぬぐいで頬被りをして、帰っていく。
「一本」は、一文銭だと百文〈※百文は当時の相場で計算すると1700円程度〉、四文銭だと四百文のことである。
若旦那は祝儀も含め、規定の倍額の四百文をはずんだ。けころのサービスを堪能したのだろうか。
それにしても、揚代を懐紙に包むなど、若旦那だけに岡場所にあっても、することが上品だった。
天明七年(1787)に松平定信が老中に就任し、寛政の改革と呼ばれる綱紀粛正を断行した。
この寛政の改革により、山下の岡場所は取り払われ、その後、復活はなかった。
刊行年を考えると、前編の図1〈サムネイルにも使われている〉は、すでに岡場所がなくなったあとの山下の光景であろう。
■江戸の男の歓楽街 第3回-山下(前編)-
盛り場としてのにぎやかさはあっても、けころの姿はなく、男を誘う声も聞こえてこなかった。
――後編に続く――